猫の呟き その62

一月の間に二つの貴重な体験をした。

一つは市民劇団の旗上げ公演の演出、演技指導のアドバイザー。

もう一つは子供達のミュージカル上演の為の合宿での演技指導。

まずは市民劇団の旗上げ公演の方。

本当に大変でした。公演までに四回の指導を頼まれましたが、一回目の稽古には八名の出演者中出席者は何と半分の四名!(後で聞いた事ですが、当日都合により欠席した者二名。他の二名は第一回目の稽古後に代表者が出演依頼をしたとの事)。それでも出席した四名で最初から最後まで動きながら本読み。(これも後で聞いた話ですが全員その稽古を体験して演る気になったそうです)

第二回目は八名中七名が参加。(つまり三名の出演者にはその時に始めて会った訳です)大変でした。第一回目に参加した出演者と第二回目からの出演者との違いが大きすぎるのです。つまりテーブル稽古に参加した人間と、それに参加せず、いきなり見も知らぬ私の前で稽古をしなければならない出演者との条件の違い。(私も困りましたが、第二回目から参加した彼等も大いに困惑した事でしょう)しかも第一回目に確認した演出方針がすっかり変っていたのです(はあ・・・)。

第三回目は八名中七名が参加(一、二回目欠席した出演者一名は出席出来ましたが、第二回目に始めて出席した一名は遅刻。最後の通し稽古には間に合いましたが、これではもう彼に対してのダメ出しも出来ませんよね)そして公演会場が予定したように取れなかったとの事で、その日の稽古中何となくバタバタバタバタ。

そして最後の第四回目。やっと全員参加!午前中ゆっくりと稽古をして、午後は通し稽古。そして夜は公演会場に移動して仕込み。

そして公演会場を予定通り取れなかったので是非観たいが明日は来られないという人達の希望を入れて公開ゲネプロという事に(午後五時に仕込み開始で午後七時三十分からゲネプロ。皆よく頑張ってとにかく間に合わせました)

舞台は良かったです。これなら明日が楽しみだと私も思ったぐらい。

そして翌日本番第一回目。・・・もう散々。観客の前に立った途端、「あれっ、あの稽古はどこへ行っちゃったの・・・」そう、それぞれが自己流で、もう押しつける事押しつける事。そう幕が開いた瞬間、観客の前に立つ不安が押し寄せて来て、その不安に打ち勝つ為に自分が安心出来るいつもの自分の殻(パターン)の中へ避難したのです。(稽古の多少によってその避難の仕方にはそれぞれ違いはありましたが)

そして第二回目は・・・それがもっとひどかった。

そうです、稽古しなくては良い舞台を創る事は出来ないのです。観客の前で楽しんで創造をする為には、それに(そのプレッシャーに)堪えられるだけの稽古を積み重ねなければ、それは(そのプレッシャーをはねのける事は)不可能なのです。稽古、稽古そして稽古。そう、稽古を馬鹿にしていては創造を楽しむ事は出来ないし、観客の前に立つ事は出来ないのです。

何回公演しようと何十回やろうと、常に常に自分の殻の中の世界でワアワアドタバタ。

あーあ。それだったらカラオケの様に、観客抜きで、自分達のパフォーマンスを楽しむべきです。観客をなめてはいかんぜよ。

 

その公演終了後、バラシが終ってから子供ミュージカルの合宿所へ。

用意しておいてくれた弁当を食べながら中心になっている若い社会人、学生達と明日の打ち合せ。そして就寝。翌日、午前、午後と昼食を挟んで六時間の稽古。

全員で歌い、セリフを言うが、覚えている事をただ口から出しているだけ、身体全体で歌いしゃべっていない。何回やっても駄目。仕方ない、どんなに時間がかかってもいい、歌う、しゃべるという事は身体全体を使い楽しむんだという事を分かってもらう為に一人一人でやってもらう。

皆なかなか上手く出来ない。出来ないのは当り前。そんな歌い方しゃべり方を子供達は日常では要求されてないんだから。

しかし。舞台に立つ以上、観客に見てもらう以上、子供であっても創る事の基本をちゃんと分かってもらわなければ。

稽古が進むうちに子供達が段々と真剣になっていく。「このおじさん真剣なんだ」。中には泣き出す子も何人かでる。「押しつけるのはいやだ。ようし、今日はもうこれでやめようか」と、私がいうと子供達は泣きながら「やります」と私の顔をじっと見て言う。見ている母親達はおもわず貰い泣き。「すごい。全身全力でもって自分の壁、殻にチャレンジしている。そう、それが創る事。自分を信じる事、自分を成長させる事なんだよ。そして昼食後の子供達の何と生々とした楽しそうな稽古態度。そう、やらされているのではなく、自分の力で、努力で、自分の壁に殻にチャレンジし、それを打ち破った自信がこうした生気、楽しさを稽古の中に持ち込んだのです。

皆んな、どうかどうか大人になっても、あなた達がそうした人間でありますように、ありがとう、本当にありがとう。