私の「『語り芝居』に決定稿はない」
自分のレパートリーの録音したテープを点検も含めて聞き直してみた。「宮沢賢治作品」「シェイクスピア作品」「夏目漱石作品」それに今年公演予定の「式亭三馬作品」来年公演予定の「太宰治作品」「ういろう売り」等々。
上演時期が異なっているので、自分の声も色々。こんなにも声も違ってくるのだ。
が、それよりもっと驚いた事は、今演じているのと録音時との台本の違い。昔の台本には有るが今はカットして演じてない処もあるし、昔の台本には無いが今は付け加えて演じている処もある。
録音仕直そうか。
が、止めた。そう、私の「語り芝居」には決定稿は無い。それは当然の事だ。「落語」と同じ。同じ演目でも、語り手が異なれば、大筋は同じでも違う作品になっているし、演者が同じでも時代に連れて違ってくる。
私の「語り芝居」も、私の変化につれて変わる。それは当然の事。「朗読」なら、それは許されないが、「語り芝居」はそれが当り前。それこそが、演者にとっても観客にとっても醍醐味(だいごみ)。
さあ、これからどう変わっていくか。
何だか楽しくなって来て、作業を終えた。

