topimage.png

大多和 一覧

猫の呟き

さて本番にどうやって辿り着くか

ひとり語り「銀河鉄道の夜」のセリフ覚え、ようやっと終り。約六十一分。よくぞ覚えたもの。自分でもその執念には恐れ入る。(もう、「演劇」「表現活動」以外には興味が向かないのかも)

さて、これからどうするか、どう舞台化するか。

セリフ覚えが終ってみると、それを「一人語り」として舞台化する事の難しさ、大変さがよく分かる。勿論、お金を沢山使って、照明、効果、音楽、装置、衣裳、映像等々を用いての舞台化ならそれなりの形が考えられるが、それは論外。いままで「くすのき」で創ってきた方法で、シンプルに、役者の表現(「語り」と演技)を中心に、生音を用いて、照明は地明かりでとなると、これは大変。

さて、さて、さて・・・。

まあ焦らずに、ゆっくりと、一歩一歩。

初めての玩具をもらった子供のように色々と楽しもう。その試みの楽しさ、面白さが舞台上に反映されれば・・・。そう、それを期待して楽しもう。

猫の呟き

無理をしつつ無理をせずに・・・?

「リウマチ性多発筋痛症」のCRPの数値の推移は次の通り。(昨年2023年度分)八月0.03(これが普通の値だそうである)

九月0.03、十月0.26、十一月1.42、十二月2.64

その時期の活動内容と照らし合わせてみると一目瞭然、つまり演劇活動が活発になればなる程CRPの数値は跳ね上がる。数値は正直にその事を示している。

十二月に診察してもらった時の医師の言葉。

「あなたと同じ時期に発病した同年代の方は、もう略(ほぼ)完治しました。だってもう引退していますから。しかしあなたはまだ現役。引退すれば完治も目の前ですが、まだまだ演劇活動は続けるおつもりでしょう。となると、これからもCRPの数値が良くなったり悪くなったりが続く事が考えられます。私も同じ様な年ですからあなたのお気持、よく分かります。まあ、あまり無理をせず、気長に治療を続けましょう」

「はい、よろしくお願いします」

そう、演劇活動はこれからも、身体と気力と意欲と記憶力と創作力が有る限りは続けていきたい。しかし発病してまったく動けなくなった時のあのショック、怖さは今でも鮮明に覚えている。

あれはもう絶対に嫌だ、二度と味わいたくない。でも演劇活動はこれからも、可能な限り続けたい。ならばどうすればよいのか・・・。

そう、無理をしつつ、無理を承知で、無理をせずに・・・。

まるで矛盾だらけ。しかし、夢を、自分の選択した人生を進むには、その矛盾を生きなければ。

そう人生は矛盾だらけ。この世も矛盾だらけ。

けれども授けられたたった一度の人生・・・。

生きる、生きる、自分の人生を。

たった一度の自分の人生を。

・・・さて、今月の数値は・・・

猫の呟き

二〇二三年の私は・・・

 今年も色々な事があり、色々な事をやりました。

 四月「マクベス一代記」公演。シェイクスピアが大好きな私にとっては、私の演劇人生の一つの大きな記念的舞台。いつか機会があれば再演したい。

(無理かもしれないが準備だけはしておこう。)

 四月「リウマチ性多発筋痛症」がリバウンドで又一からやり直し。

(動けなくなった時の恐怖感は今でも鮮明。まあ一生付き合うつもりでいるのが賢明かも。それにしても辛い)

 六月補聴器を初めて使用(身体の老いを重ねて実感。年々こういう事が増えてくるのだろう。)

 八月喜多方発21世紀シアター公演。久し振りで喜多方の蔵公演を体験。うれしかった。楽しかった。日帰り温泉も最高、そばもうまかった。初期の頃をなつかしんであちこち街を散策。

 十一月、本当に久し振りで四国(高知、徳島)での一週間のラボのワークショップの仕事。

(これが最後かも知れないので少し無理をして欲張って楽しんだ。きつかったが充実した一週間を楽しんだ。)

 さて来年は、そう明日は明日の風が吹く。来年も楽しもう。

(「吾輩は猫である」の台本を初演以来初めて書き直した。手書きなので約二週間かかった。書き直しながらの色々の発見が面白かった。再演は無理かもしれないが、自主稽古だけはちゃんとやっておこう。「銀河鉄道の夜」の「一人語り」の台本も完了。条件は困難を予測しているのに意欲だけは旺盛。まあ、「惚け予防」としての意味はあるかも。楽しんで、欲張らずに、ゆっくりゆっくりと進んでいきましょう。)

猫の呟き

久し振りの長旅への挑戦

十一月二十二日、午後の便で羽田から高知へ。空港ロビーで待ち合せをして、御遍路さん達が利用するという宿へ。こうゆう宿泊体験も初めて。

翌日は、高知ラボの表現ワークショップで、午前中は幼児と親達とで、始めに私の「一人語り」を十五分ぐらい観てもらい、それから「三びきのやぎのがらがらどん」を子供に、皆んなの前で読んでもらい(ドキドキしながら読んでくれました)お母さんに読んでもらい、三匹のヤギの違い(お母さんが小ヤギ子供が大ヤギを作る)、三匹のヤギが橋を渡る時の橋の表現、トロルの表現、最後に「三びきのやぎのがらがらどん」の三分以内の予告編を各グループで、十分間という条件の中で創ってもらいました。(出来ました!)すごい集中力と楽しみ方。

午後は大きな子達に「ナルニア国物語」のワークショップ。自分達だけで創った所までを見せてもらい、それから私のアドバイスを。私のやった事は、アクセントを付けて見やすくしただけ。(すごい)それから、創ってなかった所を創ってもらい(私の創り方を押し付けたくなかった)、それへのアドバイスを。それからがすごい!時間がギリギリだったが、最初から最後までを上演。そしてアドバイス。午後一時三十分から五時までびっしり。子供達の集中力、素直さ、真面目さに勇気をもらいました。

翌日は徳島へ移動するまでの約五時間(昼食を入れて)チューター二人へのテクスト読みのワークショップ。本当に心の底から面白がって、楽しんでくれました。高速バスで徳島へ。疲れてバスの中でぐっすりと寝込んでしまい、どこをどう通ったのかまったく覚えていません。

翌日は徳島のチューター達の前で私の「一人語り」を観てもらいました。「四作品、約一時間」(午前十時から午後一時頃まで)午後二時から八時三十分まで、夕食を挿んでのワークショップ。私の「一人語り」、ゲーム等を挿んでの「注文の多い料理店」を題材にしてのワークショップ。森を創ってもらい、三分以内の予告編を創ってもらいました。私の予想をはるかに超えた、子供達の集中力、創造力、空想力、楽しみ方。すごい!

翌日は午前九時から十二時まで、「あなた達の『注文の多い料理店』を創って下さい」との課題に見事チャレンジ。横割りでグループを作った結果が見事に出ました。その年令に相応しいそれぞれの作品が出来ました。しかも一回目と二回目では、まったく違ったとでも言えるような深い作品を創ってくれました。それも、三十分という条件の中で。

ありがとう、あなた方から沢山の勇気と喜びとをいただきました。

午後二時から四時三十分までは幼児と親を中心に、それまで活動していた何名かの子供達も参加して「三びきのやぎのがらがらどん」のワークショップ。ゲーム、私の「一人語り」を挿んでのワークショップ。二時間三十分。しっかりと集中して楽しんでくれました。ニコニコしながら帰って行く子供達の顔々々、「楽しかったです。ありがとうございました。今日のゲーム、家で子供達とやって楽しみます」というお母さん達の顔々々。

疲れたけれど充実感の詰まった疲れでした。

翌日は三人のチューター達と、台本読みのワークショップ。本当に楽しんでくれました。

翌日十二時十五分の便で、徳島から羽田へ。疲れたけれど、楽しい、充実した一週間でした。

猫の呟き

一つ一つ、一人一人に丁寧に

演技指導として関わった市民劇場TAMA「インディヴィジュアル・ライセンス」公演も無事終了。創る事の面白さ、難しさ、深さと同時に、市民劇団と関わる事の難しさを実感した。

市民劇団に参加して、働きながら演劇に携わるのにも色々な携わり方がある。

何年か、自分の日常の中に、何か彩りの異なったものを取り入れてそれを楽しんでみる為の参加、

専門に演劇に携わるのは断念したが、仕事と同時に、演劇も自分の人生の大切な一面として生涯関わっていきたい、

働きながら自分の演劇を創ってみたいとの決意での参加、

文化祭の乗りで、自分を目立たせたい、自分を多くの人に見てもらいたい。としての参加、

その他etc.

市民劇団はそうした異なった目的を持った人達がグループを作り演劇活動を継続していく所です。ですから、それらをまとめて公演活動を継続していくのには、プロと違った難しさ、面白さがある。

(「市民劇場TAMA」は今年で何と四十周年だそうです!)


私としては、少しでも、面白くて、その劇団の目指す、又その演出家の目指す舞台を創る為の一員になりたい。その為の刺激、アドバイスを確実に発信したい。(その為に私は頼まれたのだ)

しかし、劇団員の置かれている創造状況と私の創造状況とは当然ながらまったく別物。押し付けは絶対にしたくない。しかし出来る可能性を否定して「見切る」事だけはしたくない。そう、丁寧に、丁寧に。

「・・・うーん、ここは言うべきか、それとも・・・うーん、うーん・・・」

そんなこんなで、自分の、「くすのき」の公演とは違った、苦しみ、楽しみ、発見を沢山経験させてもらいました。

疲れました。が、楽しい疲れでもありました。


沢山の、色々な創造活動が生き生きと続いています。そう、自分の条件に合った創造活動を多いに楽しもう!

「リウマチ性多発筋痛症」数値下がらずに、薬は以前のまま。気長に付き合っていくしかない。

老いる事の難しさをしみじみと感じる。

四国のワークショップ楽しむぞ!

その為には準備、準備。そう準備を万全に。

猫の呟き

コツコツコツコツと

毎日、休みなく、コツコツと「銀河鉄道の夜」の台本創りと、劇中音楽「星めぐりの歌」「遠き山に日は落ちて」のメタルフォン演奏の練習と、十一月の高知、徳島でのラボワークショップ「三びきのやぎのがらがらどん」「おおきなかぶ」「ナルニア国物語」「注文の多い料理店」「なめとこ山の熊」の準備、練習を飽きもせずにコツコツコツコツと。

こういうところは自分は金細工の職人だった父親の血を色濃く引き継いでいる人間だと笑ってしまう。そう、良い悪いでなく遺伝。そんな事も、その人間に、色々の影響を与えているに違いない。人間は一人で人間になった訳ではない。人類の一分子、いや、宇宙の一欠片(ひとかけら)。自分の与えられた役割を、楽しんで、他の邪魔をしないで、ゆったりと・・・。でも、それが難しい。

そのコツコツの合間に「新潮日本古典集成」を読み返している。(もう何度目だろう。元は充分に取った。)

「与謝蕪村」の素晴らしさ、面白さを発見!(この年までそれが分からなかった事がむしろ驚きかも)

今までは「芭蕉芭蕉」と言っていたが(勿論「芭蕉」も素晴らしいし、面白い)この年になって、やっと「与謝蕪村」の素晴らしさ、面白さが分かった。

だから人生って面白い。

これからもコツコツコツコツと生きていこう。

猫の呟き

私の夏祭り

八月もまもなく終る。

久し振りの「喜多方」の蔵での公演。懐かしさが町中に溢れている。朝、宿近くの神社での体操を終えて、町中を散歩、「れんが蔵」の前に立つ。そう、ここは「くすのき」が初めて「喜多方」の蔵で公演をした場所。私の「甲子園」。一日二回公演。それも全て出し物を変えての公演。仕込んで、稽古をして、上演して、バラして、仕込んで、稽古をして、上演して、又バラして。よくぞ出来たものだ。若さというものはやっぱりすごい。

今はとても無理。・・・ありがとう、私の「甲子園」、私の若さ、私の生きた証(あかし)。

今年はスタッフの配慮で、役者に専念。日帰り温泉も満喫。(良かった、本当によかった。)「大和川酒蔵北方風土館」も素晴しかった。出し物は「注文の多い料理店(序)」「革トランク」「フランドン農学校の豚」久し振りの「蔵公演」を堪能した。(偶然ではあるが、十才になる孫が観に来てくれた。うれしい・・・)

コロナ禍、久し振りで「市民劇場TAMA」(インディヴィジュアル・ライセンス)に「演技指導」として参加。AM10:009:00PM。11時間の稽古。よく持ったものだ。出演者八名、それにスタッフ。「君いくつ?」「十九才です。」すごい、

自分の十九才の時は・・・。自分の事を考えると「今の若い奴は」なんて決して言えない。そう、その若さで、素直さで、情熱で、創る事に向き合えばいい。そう、すれば何かが見えてくる。何かを学ぶ事が出来る。

頑張れ、頑張れ!若者よ。

若者から定年過ぎの中年までの、舞台にかけるエネルギーの中での一日を久し振りに味わえた。(創造に集中した出演者、スタッフのエネルギーの中での時間は疲れを越えた何かを与えてくれるものですね。・・・もっとも次の日は・・・エヘヘ・・・グッタリと・・・年ですね。)

「銀河鉄道の夜」(一人語り)第一稿完了。上演まで持っていけるのか・・・。分からない。でもやってみたい・・・やる・・・やれるかも・・・。まあ、始めましょう。いや、もう始まっている。まあ、じっくりと、ゆっくりと、楽しんで・・・。そう、焦ってもいい事はなし。やれる事を、やれるまで・・・。

「甲子園」の熱戦も終わり、私の夏も終了。今年は、実りの多い夏でした。

さて、今年の秋は・・・。そう、じっくりと、ゆっくりと、今年の秋を味わいましょう。

猫の呟き

その日その時が面白い

暑い!とにかく暑い!暑過ぎる!昔は、子供の頃は、夏はやはり暑かったが、こんなに暑くはなかった。(朝、公園に体操に集まる後期高齢者の繰り言)しかし、どうぼやいても現実は、今、私自身が毎日を過して生活しているこの時、この瞬間。地球は宇宙は確かに人間の傲慢を怒っている(と思う)。便利ばかりを追求する傲慢な人間の生活を、生き方をそろそろ反省すべき時に来ていると思う。・・・そう思う。

でも、人間はそれを、反省を、するだろうか・・・分からない・・・するかも知れない・・・あるいは、そんな事関係ないと、今の生き方を、もっと速度を速めてずんずんとつき進んでいくかもしれない。さあ、どっちへ向っていくか・・・

そうした中で、私の生活は日一日と淡々と過ぎていく。早朝、目を覚ますと布団の中でブツブツとセリフの稽古。(「喜多方」での公演が有るので、それを中心に、色々と)こうしただらしない、しまりのない稽古でも続けていると結構面白い。終って新聞が届くとそれを読み、早朝トレーニングの為近所の公園へ。ラジオ体操が終ると帰ってシャワーを浴びて朝食。朝食後は、その日その日で色々。(変なもので、生きていると、まあ何と色々の事が、毎日毎日後から後から有る事か)でも、そんな変てこりんで変りばえのしない事でも結構面白い。若い頃は、仕事が中心の生活だったから、そんな事を面白がる、時間も、心のゆとりもなかったので、そんな事は私の側を素通りしていったのだろう。でも、今は、仕事中心から、何とも不思議な毎日を生きる事が、生き続ける事が中心の毎日。・・・うん、これも結構面白い・・・とにかく生きている限り、毎日毎日を、その時その時を面白く生きよう。怒ったり、喜んだり、悲しんだり、時にはちょっと真面目になったりして・・・それが続く限り・・・。

猫の呟き

理想的ゴールを目差して・・・

補聴器を試しに使い始めて二週間。プラス面も有り、マイナス面も有る。一週間毎に店に行って、検査、調節を行い、それを一ヶ月間続けて、使うか、止めるかを決断するシステム。創造を、舞台を、役者を、演出をやり続ける以上使う事になるだろう。きちんと検査、調節をしてもらって、使い勝手の良い器具を自分の物にする努力をしよう。

しかし、八十一才まで舞台と関係が続けられるとは・・・。二十代から五十代までの自分の人生を考えると、まったく信じられない老年期。コツコツとやれる事をやり続けてきた御褒美かも知れない。これからもコツコツとやれる事をやり続けよう。

「リウマチ性多発筋痛症」も一進一退の状況。これとも気長に付き合っていく事になろう。朝のトレーニングも朝五時~六時四十分だったのを、朝五時三十分~六時四十分と三十分間短縮。こっちの方が今の私には結果オーライ。無理は禁物。やればいいというものでもない。その時、その時の自分の状況に合わせて、考えながらトレーニング、練習を。

この年になって、周りに迷惑をかけない様に、どう自分の欲求を具体化していくか。(それでも最後は結果として迷惑をかける事になる。それが人生。)難しい事ではあるが、それをしなければ我儘な人生になってしまう。そんな我儘人生は嫌だ。

思う様な、理想的ゴールは無理だとは思うが、でも、それを目差して、日々努力をしよう。

猫の呟き

「語り芝居」と私

私がそもそも「語り芝居」を思い付いたのは「くすのき」結成時、何も無かったからである。金も無い、スタッフも居ない、キャストは三人。

さて、自分の舞台を創る為には、この条件下でどうするか。

その時に自分の中で点滅し始めたのが「宮沢賢治」

そうだ、「宮沢賢治」の「言葉」の魅力を「語り」で伝えよう。うん、「語り」でならば「言葉」の魅力、「宮沢賢治」の魅力を舞台化出来るかも知れない。

が、これは頭の中での計算。今もそうであろうが、その当時の私達にとって、スタッフとキャストを同時に兼ねるのは、しかも観客の観ている眼の前で、それを兼ねるのは、とてもじゃないが至難の業。

でも、大道芸の始まりは、それを当然の事としてやる。そして、その始まりから色々な役割が分化していき、豊かに華やかになっていく。

「よし、これで行こう。これ以外の選択は無い」

それから三十五年。「宮沢賢治」から始まった私達の「語り芝居」も「説経節」「シェイクスピア」「ギリシャ悲劇」「夏目漱石」「幸田露伴」と、その世界を広げていきました。

そして「マクベス一代記」を終えた今、「そうだ、私の、私達の「原点」である「宮沢賢治」の「語り芝居」にもう一度、戻ってみよう。「語り芝居」が私にとって、私達にとって何だったのかを、じっくりと考えてみよう」

行動は、点検は、突然やってくる。でも、その突然には何か必然性があるに違いない。それが何なのか、今のところ分からないが、しかし、その突然に付き合ってみよう。

きっと私の演劇人生が何だったのか。その何分の一かが分かるかも知れないから。

このページの上部へ

プロフィール

演劇企画「くすのき」は1988年(昭和63年)に、大多和勇、あきなんし、高塩景子の三人で結成。語り芝居という表現方法で宮沢賢治、夏目漱石、説経節作品を上演。2015年7月東京都国立市に劇団事務所移転。代表高塩景子

サイト内検索