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大多和 一覧

猫の呟き

久し振りの長旅への挑戦

十一月二十二日、午後の便で羽田から高知へ。空港ロビーで待ち合せをして、御遍路さん達が利用するという宿へ。こうゆう宿泊体験も初めて。

翌日は、高知ラボの表現ワークショップで、午前中は幼児と親達とで、始めに私の「一人語り」を十五分ぐらい観てもらい、それから「三びきのやぎのがらがらどん」を子供に、皆んなの前で読んでもらい(ドキドキしながら読んでくれました)お母さんに読んでもらい、三匹のヤギの違い(お母さんが小ヤギ子供が大ヤギを作る)、三匹のヤギが橋を渡る時の橋の表現、トロルの表現、最後に「三びきのやぎのがらがらどん」の三分以内の予告編を各グループで、十分間という条件の中で創ってもらいました。(出来ました!)すごい集中力と楽しみ方。

午後は大きな子達に「ナルニア国物語」のワークショップ。自分達だけで創った所までを見せてもらい、それから私のアドバイスを。私のやった事は、アクセントを付けて見やすくしただけ。(すごい)それから、創ってなかった所を創ってもらい(私の創り方を押し付けたくなかった)、それへのアドバイスを。それからがすごい!時間がギリギリだったが、最初から最後までを上演。そしてアドバイス。午後一時三十分から五時までびっしり。子供達の集中力、素直さ、真面目さに勇気をもらいました。

翌日は徳島へ移動するまでの約五時間(昼食を入れて)チューター二人へのテクスト読みのワークショップ。本当に心の底から面白がって、楽しんでくれました。高速バスで徳島へ。疲れてバスの中でぐっすりと寝込んでしまい、どこをどう通ったのかまったく覚えていません。

翌日は徳島のチューター達の前で私の「一人語り」を観てもらいました。「四作品、約一時間」(午前十時から午後一時頃まで)午後二時から八時三十分まで、夕食を挿んでのワークショップ。私の「一人語り」、ゲーム等を挿んでの「注文の多い料理店」を題材にしてのワークショップ。森を創ってもらい、三分以内の予告編を創ってもらいました。私の予想をはるかに超えた、子供達の集中力、創造力、空想力、楽しみ方。すごい!

翌日は午前九時から十二時まで、「あなた達の『注文の多い料理店』を創って下さい」との課題に見事チャレンジ。横割りでグループを作った結果が見事に出ました。その年令に相応しいそれぞれの作品が出来ました。しかも一回目と二回目では、まったく違ったとでも言えるような深い作品を創ってくれました。それも、三十分という条件の中で。

ありがとう、あなた方から沢山の勇気と喜びとをいただきました。

午後二時から四時三十分までは幼児と親を中心に、それまで活動していた何名かの子供達も参加して「三びきのやぎのがらがらどん」のワークショップ。ゲーム、私の「一人語り」を挿んでのワークショップ。二時間三十分。しっかりと集中して楽しんでくれました。ニコニコしながら帰って行く子供達の顔々々、「楽しかったです。ありがとうございました。今日のゲーム、家で子供達とやって楽しみます」というお母さん達の顔々々。

疲れたけれど充実感の詰まった疲れでした。

翌日は三人のチューター達と、台本読みのワークショップ。本当に楽しんでくれました。

翌日十二時十五分の便で、徳島から羽田へ。疲れたけれど、楽しい、充実した一週間でした。

猫の呟き

一つ一つ、一人一人に丁寧に

演技指導として関わった市民劇場TAMA「インディヴィジュアル・ライセンス」公演も無事終了。創る事の面白さ、難しさ、深さと同時に、市民劇団と関わる事の難しさを実感した。

市民劇団に参加して、働きながら演劇に携わるのにも色々な携わり方がある。

何年か、自分の日常の中に、何か彩りの異なったものを取り入れてそれを楽しんでみる為の参加、

専門に演劇に携わるのは断念したが、仕事と同時に、演劇も自分の人生の大切な一面として生涯関わっていきたい、

働きながら自分の演劇を創ってみたいとの決意での参加、

文化祭の乗りで、自分を目立たせたい、自分を多くの人に見てもらいたい。としての参加、

その他etc.

市民劇団はそうした異なった目的を持った人達がグループを作り演劇活動を継続していく所です。ですから、それらをまとめて公演活動を継続していくのには、プロと違った難しさ、面白さがある。

(「市民劇場TAMA」は今年で何と四十周年だそうです!)


私としては、少しでも、面白くて、その劇団の目指す、又その演出家の目指す舞台を創る為の一員になりたい。その為の刺激、アドバイスを確実に発信したい。(その為に私は頼まれたのだ)

しかし、劇団員の置かれている創造状況と私の創造状況とは当然ながらまったく別物。押し付けは絶対にしたくない。しかし出来る可能性を否定して「見切る」事だけはしたくない。そう、丁寧に、丁寧に。

「・・・うーん、ここは言うべきか、それとも・・・うーん、うーん・・・」

そんなこんなで、自分の、「くすのき」の公演とは違った、苦しみ、楽しみ、発見を沢山経験させてもらいました。

疲れました。が、楽しい疲れでもありました。


沢山の、色々な創造活動が生き生きと続いています。そう、自分の条件に合った創造活動を多いに楽しもう!

「リウマチ性多発筋痛症」数値下がらずに、薬は以前のまま。気長に付き合っていくしかない。

老いる事の難しさをしみじみと感じる。

四国のワークショップ楽しむぞ!

その為には準備、準備。そう準備を万全に。

猫の呟き

コツコツコツコツと

毎日、休みなく、コツコツと「銀河鉄道の夜」の台本創りと、劇中音楽「星めぐりの歌」「遠き山に日は落ちて」のメタルフォン演奏の練習と、十一月の高知、徳島でのラボワークショップ「三びきのやぎのがらがらどん」「おおきなかぶ」「ナルニア国物語」「注文の多い料理店」「なめとこ山の熊」の準備、練習を飽きもせずにコツコツコツコツと。

こういうところは自分は金細工の職人だった父親の血を色濃く引き継いでいる人間だと笑ってしまう。そう、良い悪いでなく遺伝。そんな事も、その人間に、色々の影響を与えているに違いない。人間は一人で人間になった訳ではない。人類の一分子、いや、宇宙の一欠片(ひとかけら)。自分の与えられた役割を、楽しんで、他の邪魔をしないで、ゆったりと・・・。でも、それが難しい。

そのコツコツの合間に「新潮日本古典集成」を読み返している。(もう何度目だろう。元は充分に取った。)

「与謝蕪村」の素晴らしさ、面白さを発見!(この年までそれが分からなかった事がむしろ驚きかも)

今までは「芭蕉芭蕉」と言っていたが(勿論「芭蕉」も素晴らしいし、面白い)この年になって、やっと「与謝蕪村」の素晴らしさ、面白さが分かった。

だから人生って面白い。

これからもコツコツコツコツと生きていこう。

猫の呟き

私の夏祭り

八月もまもなく終る。

久し振りの「喜多方」の蔵での公演。懐かしさが町中に溢れている。朝、宿近くの神社での体操を終えて、町中を散歩、「れんが蔵」の前に立つ。そう、ここは「くすのき」が初めて「喜多方」の蔵で公演をした場所。私の「甲子園」。一日二回公演。それも全て出し物を変えての公演。仕込んで、稽古をして、上演して、バラして、仕込んで、稽古をして、上演して、又バラして。よくぞ出来たものだ。若さというものはやっぱりすごい。

今はとても無理。・・・ありがとう、私の「甲子園」、私の若さ、私の生きた証(あかし)。

今年はスタッフの配慮で、役者に専念。日帰り温泉も満喫。(良かった、本当によかった。)「大和川酒蔵北方風土館」も素晴しかった。出し物は「注文の多い料理店(序)」「革トランク」「フランドン農学校の豚」久し振りの「蔵公演」を堪能した。(偶然ではあるが、十才になる孫が観に来てくれた。うれしい・・・)

コロナ禍、久し振りで「市民劇場TAMA」(インディヴィジュアル・ライセンス)に「演技指導」として参加。AM10:009:00PM。11時間の稽古。よく持ったものだ。出演者八名、それにスタッフ。「君いくつ?」「十九才です。」すごい、

自分の十九才の時は・・・。自分の事を考えると「今の若い奴は」なんて決して言えない。そう、その若さで、素直さで、情熱で、創る事に向き合えばいい。そう、すれば何かが見えてくる。何かを学ぶ事が出来る。

頑張れ、頑張れ!若者よ。

若者から定年過ぎの中年までの、舞台にかけるエネルギーの中での一日を久し振りに味わえた。(創造に集中した出演者、スタッフのエネルギーの中での時間は疲れを越えた何かを与えてくれるものですね。・・・もっとも次の日は・・・エヘヘ・・・グッタリと・・・年ですね。)

「銀河鉄道の夜」(一人語り)第一稿完了。上演まで持っていけるのか・・・。分からない。でもやってみたい・・・やる・・・やれるかも・・・。まあ、始めましょう。いや、もう始まっている。まあ、じっくりと、ゆっくりと、楽しんで・・・。そう、焦ってもいい事はなし。やれる事を、やれるまで・・・。

「甲子園」の熱戦も終わり、私の夏も終了。今年は、実りの多い夏でした。

さて、今年の秋は・・・。そう、じっくりと、ゆっくりと、今年の秋を味わいましょう。

猫の呟き

その日その時が面白い

暑い!とにかく暑い!暑過ぎる!昔は、子供の頃は、夏はやはり暑かったが、こんなに暑くはなかった。(朝、公園に体操に集まる後期高齢者の繰り言)しかし、どうぼやいても現実は、今、私自身が毎日を過して生活しているこの時、この瞬間。地球は宇宙は確かに人間の傲慢を怒っている(と思う)。便利ばかりを追求する傲慢な人間の生活を、生き方をそろそろ反省すべき時に来ていると思う。・・・そう思う。

でも、人間はそれを、反省を、するだろうか・・・分からない・・・するかも知れない・・・あるいは、そんな事関係ないと、今の生き方を、もっと速度を速めてずんずんとつき進んでいくかもしれない。さあ、どっちへ向っていくか・・・

そうした中で、私の生活は日一日と淡々と過ぎていく。早朝、目を覚ますと布団の中でブツブツとセリフの稽古。(「喜多方」での公演が有るので、それを中心に、色々と)こうしただらしない、しまりのない稽古でも続けていると結構面白い。終って新聞が届くとそれを読み、早朝トレーニングの為近所の公園へ。ラジオ体操が終ると帰ってシャワーを浴びて朝食。朝食後は、その日その日で色々。(変なもので、生きていると、まあ何と色々の事が、毎日毎日後から後から有る事か)でも、そんな変てこりんで変りばえのしない事でも結構面白い。若い頃は、仕事が中心の生活だったから、そんな事を面白がる、時間も、心のゆとりもなかったので、そんな事は私の側を素通りしていったのだろう。でも、今は、仕事中心から、何とも不思議な毎日を生きる事が、生き続ける事が中心の毎日。・・・うん、これも結構面白い・・・とにかく生きている限り、毎日毎日を、その時その時を面白く生きよう。怒ったり、喜んだり、悲しんだり、時にはちょっと真面目になったりして・・・それが続く限り・・・。

猫の呟き

理想的ゴールを目差して・・・

補聴器を試しに使い始めて二週間。プラス面も有り、マイナス面も有る。一週間毎に店に行って、検査、調節を行い、それを一ヶ月間続けて、使うか、止めるかを決断するシステム。創造を、舞台を、役者を、演出をやり続ける以上使う事になるだろう。きちんと検査、調節をしてもらって、使い勝手の良い器具を自分の物にする努力をしよう。

しかし、八十一才まで舞台と関係が続けられるとは・・・。二十代から五十代までの自分の人生を考えると、まったく信じられない老年期。コツコツとやれる事をやり続けてきた御褒美かも知れない。これからもコツコツとやれる事をやり続けよう。

「リウマチ性多発筋痛症」も一進一退の状況。これとも気長に付き合っていく事になろう。朝のトレーニングも朝五時~六時四十分だったのを、朝五時三十分~六時四十分と三十分間短縮。こっちの方が今の私には結果オーライ。無理は禁物。やればいいというものでもない。その時、その時の自分の状況に合わせて、考えながらトレーニング、練習を。

この年になって、周りに迷惑をかけない様に、どう自分の欲求を具体化していくか。(それでも最後は結果として迷惑をかける事になる。それが人生。)難しい事ではあるが、それをしなければ我儘な人生になってしまう。そんな我儘人生は嫌だ。

思う様な、理想的ゴールは無理だとは思うが、でも、それを目差して、日々努力をしよう。

猫の呟き

「語り芝居」と私

私がそもそも「語り芝居」を思い付いたのは「くすのき」結成時、何も無かったからである。金も無い、スタッフも居ない、キャストは三人。

さて、自分の舞台を創る為には、この条件下でどうするか。

その時に自分の中で点滅し始めたのが「宮沢賢治」

そうだ、「宮沢賢治」の「言葉」の魅力を「語り」で伝えよう。うん、「語り」でならば「言葉」の魅力、「宮沢賢治」の魅力を舞台化出来るかも知れない。

が、これは頭の中での計算。今もそうであろうが、その当時の私達にとって、スタッフとキャストを同時に兼ねるのは、しかも観客の観ている眼の前で、それを兼ねるのは、とてもじゃないが至難の業。

でも、大道芸の始まりは、それを当然の事としてやる。そして、その始まりから色々な役割が分化していき、豊かに華やかになっていく。

「よし、これで行こう。これ以外の選択は無い」

それから三十五年。「宮沢賢治」から始まった私達の「語り芝居」も「説経節」「シェイクスピア」「ギリシャ悲劇」「夏目漱石」「幸田露伴」と、その世界を広げていきました。

そして「マクベス一代記」を終えた今、「そうだ、私の、私達の「原点」である「宮沢賢治」の「語り芝居」にもう一度、戻ってみよう。「語り芝居」が私にとって、私達にとって何だったのかを、じっくりと考えてみよう」

行動は、点検は、突然やってくる。でも、その突然には何か必然性があるに違いない。それが何なのか、今のところ分からないが、しかし、その突然に付き合ってみよう。

きっと私の演劇人生が何だったのか。その何分の一かが分かるかも知れないから。

猫の呟き

程々にとは言うものの

「マクベス一代記」無事終了。が、心も身体もガタガタに。シェークスピアは、マクベスは、やはり一筋縄ではいかないものと痛感。でも演りたい。創る事を人生に選んだ私にとっては、何度も何度も挑戦したい、偉大な、厳しい、魅力ある目標。心も、身体も、ガタガタになったが、やってよかったという感じは動かない。何に変えても大切な生きる糧である。でも心底疲れた・・・。これも事実・・・。(私の演劇人生の中で、終演後、一番多くの手紙、電話があった。ありがとうございます。)

さて、そんな中ではあっても、次の仕事に向っての稽古、準備を、ゆっくりではあるが一歩一歩と動き出す。そう、創る事、創る人生には終りはなし。終りは始まりの始まり。それが嫌になったら、出来なくなったら、その時はきっぱりと「さようなら」を言う。そう、その時が来るまでは、自分の条件の中で、少しでも面白く、楽しく、お客様に喜んでいただけるものを創り続ける。楽しんで、ゆっくりと。

それにしても疲れがなかなか取れない。年を取るとはこうゆう現実と向き合う事なのか。うーん・・・。

猫の呟き

無事終了!さて、次は・・・

「マクベス一代記」無事終了!

ありがとうございました。

さて、次は・・・「うーん・・・あれにしようか、それとも、うーん、あれか・・・」一作品、一作品が大切な勝負の作品、迷います。直ぐには決めないで、しばらくあれか、これかと流しておくのも悪くはないかも・・・。さあ、そのうちに何とかなる。それにしても、今朝の身体の重い事。起きた時には何とも感じなかったが、公園に行っていつものストレッチを五十分ぐらいやって、さて、それでは遊歩道を歩きますかと歩いているうちに足が、身体が段々と重くなってくる。「えー、こんなに疲れているんだ!」そこで歩く事を止めて、ゴミ拾いを始める。やがて朝のラジオ体操が始まる。

重い。本当に重い。この疲れが取れるまで無理をしない事だ。そう、ゆっくりと、ゆっくりと。

でも、気持がいい。疲れてはいるが、この気持の良さ!

うん、さて次は・・・。

ゆっくりと、焦らずに・・・。

猫の呟き

歩く

例の通り、自分のレパートリー点検の為に歩きながらの稽古。家の近くの中田遺跡公園から川口川の土手に沿って浅川の土手へ。以前は都立小宮公園や都立滝山公園を利用していたのだが、このところ浅川土手を利用するのがもっぱら。そして段々と遠方へと足が延びる。さて、今回はどこまで・・・。

行先を決めずに歩き出す。八王子郵便局前の浅川大橋を過ぎ、甲州街道の大和田橋を越し八高線の線路を潜り、八王子バイパスの新浅川橋へ。前回はここまで。

さて、どうするか・・・。この先がどうなっているか・・・。えーい、ままよ、行ってみよう。大きな広い運動公園を通り、中央線の線路を潜り長沼橋を潜り、滝合小学校の校庭を左手に見、やがて前方に橋が。歩き出してから二時間半。

「今日はここまでにしておくか」橋の名前を見ると滝合橋。そして、側に日野市のお知らせが。「えっ、いつの間にか日野市へ!」橋を渡り反対側へ。川のすぐ傍まで家が建っていて土手へは出られない。

「あれっ、あそこに駅がある。どこの駅だ」近寄ってみると「平山城址公園駅」とある。「えっ、京王線の平山城址公園駅まで来てしまったんだ」何度も藪の中に迷い込み、ようやっと浅川土手に。さっき潜った長沼橋を右手に見て、前方に集合住宅の公園が。「都営長沼第二アパート」とある。

「よし、ここで昼飯とするか」妻が用意してくれたのを、ゆっくりと、おいしくいただく。たった一人。誰も居ない。気持がいい。少し寝ころんで出発。行きとは反対の土手を稽古をしながらゆっくりと。疲れたのか何度も休む。そして朝出発した所を通り越して八王子市役所前の河川広場へ。そこで今日の稽古分を済ませ、バスで自宅へ。

第二日目は、バスで八王子市役所まで行き、今度は南浅川土手を高尾方面へ。水無瀬橋を越え、東横山橋を潜り、横山橋を潜り、南浅川橋を潜り、陵南大橋へ。

ここで川沿いの土手道は終り。反対側へ渡り、都営陵南公園で軽く運動をしたり、寝ころんだり、飲んだり、食べたり。そして反対側の土手道を又稽古をしながら八王子市役所前の河川敷公園まで。二日間で約十五時間。我ながらよく歩いたものだ。本当に歩くのは楽しい。モヤモヤはどこかに吹き飛んでしまったようだ。

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プロフィール

演劇企画「くすのき」は1988年(昭和63年)に、大多和勇、あきなんし、高塩景子の三人で結成。語り芝居という表現方法で宮沢賢治、夏目漱石、説経節作品を上演。2015年7月東京都国立市に劇団事務所移転。代表高塩景子

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