topimage.png

大多和 一覧

「起てハムレット」第一稿が出来た。大学ノートで36ページ。かなりの分量だ。自分で書いて言うのも何だが面白い。が、原作のダイジェスト的な所が目立つ。もっともっとテーマを絞りこまないと可もなく不可もなしの舞台になってしまうだろう。時間と創造力をかけてじっくりと仕上げよう。焦りは禁物。

今治のラボパーティーに呼ばれて表現活動の講師に行って来ました。素直で、やる気のある子供達と母親達との二日間。久し振りで気分がすっきりした。こういう疲れなら何度でも味わいたい。

瀬戸内特産の魚の鮨を御馳走になり堪能。本物はやっぱり旨い。

二日居ない間に、朝運動をする公園の桜が今を盛りと咲き誇っている。何か凄いものを見せられた気分になった。

でも、疲れた。今日は休息日にしよう。

相変わらず「終活」の一環として、今まで手元に置いてある戯曲を読んでいる。五分の三くらいは整理、処分した。その一環として先日、私が今から四十年ぐらい前に書き、上演した事もある台本を読んだ。その頃、自分が考えていた事が強烈に蘇ってくる。その頃から今に至るまでチェーホフ、シェークスピア、岸田國士、別役実、つかこうへい、福田善之に多いに影響を受けていたんだという事がよく分かる。又、ベケット、ソーントンワイルダー、オールビーにも多大の影響を受けている。そして、それらの真似以外の何物でもないという台本がほとんどだ。しかし、その中に、たった三作品、これは残して置こうという台本があった。

一つは、音楽を聞きながら恋人を待っている女の下へ、一人の男が来て話しかける。女は無視する。男はナイフを突き付けて対話を迫る。女は驚きのあまりに対話を始める。男はそれが気に食わない。そして、女に上着を脱げと迫る。女は止むなく脱ぐ。と、女が反撃に出る。凶器を武器に要求を実現させるのはフェアーではない。男は、ならばとナイフを女に渡す。女はナイフを手に、男に命令する。男は従わない。女は男を刺す。そこに恋人が来る。女は下着。足下には男。女は恋人に弁明するが分ってもらえない。男は去る。と、刺された男が立ち上って「へへ、よく出来てるオモチャでしょ」で幕。オールビーの「動物園物語」の影響そのものであるが、「対話」が何故成立しないんだという自分の思いが色濃く出ている。

二つ目はチェーホフの「白鳥のうた」に同じくチェーホフの短編「すぐり」を取り入れた一人芝居。生きるって何だ、と真剣に考えていた、その頃の自分の考えを台本にしたもの。

三つ目は、女一人男二人の共同生活から自立して、慣れ合いでなく、独立した個人同士の人間関係を模索する台本。これも当時の私の心情を台本にしたもの。

自分の演劇の出発点として手元に残して置き、又いつの日か読み直してみよう。

その作業が終った二日後の早朝「そうだ、ハムレットの一人芝居を書き、出来たら上演しよう」と目が覚めた。「起てハムレット」という仮題も頭に浮び、さっそくその日から作業に入った。さて、出来上るのは、そう、二年はかかるだろう。そう、それを目標に楽しもう。

久し振りで、何十年振りかで福田善之『オッペケペ』『袴垂れはどこだ』『長い墓標の列』『遠くまで行くんだ』を読んだ。

人間は集団を組織し、強化し、強固なものにしていく事によって、生存競争に生き残り、勝ち、次から次へと可能性を現実のものにして、夢を現実化し、自分の活動範囲を個の人にとっては考える事も出来ない、大きくて、広いものにしていった。そう、人は人間に変化することによって現在を創り出したのだ。

素晴しい!美事だ!

しかし、その事によって、人は、個人は、沢山の我慢を強いられるようになった。これらの事を成し遂げる為には、集団、社会の強化がどうしても必要である。それは分かる。認める。その通りである。

しかし、個人の、私の人生は、たった一度である。そう、たった一度の人生なのだ。ならば、そのたった一度の人生を、どう生きるか。誰にも邪魔をされずに、思い切り、自分の生きたいように、やりたい事をやり切りたい。自分の条件の中で、その条件を少しでも広げて。

その為には一人では無理。そう、どうしても仲間が、友達が、集団が必要になる。となると、集団の必要、要請と自分の意欲、目的とをどう調和、調整していくのか。

二十一世紀の今日まで、それを美事にやりとげた所はまだ一つもない。その事は、はたして人間にとって可能なのか・・・

私はそれを望む、求める!

自分の原点であり、青春であり、目標でもあり、そして夢でもある、その事を忘れぬ為にも、これらの本は、これからの私の本箱に有り続ける事だろう。

猫の呟き その96

衰えというものは不思議なもので、ある時急に感じるようになる。

今年はたぶん、その「衰えを感じる時」であったのだと思う。秋を感じる頃から何だか心身共にすっきりせず、いやな感じ。

何げなしに血圧を計ってみると160から170台。もう年でもあるし、そろそろ薬を飲む事になったかと医者に診てもらい薬を飲むが、血圧は下がるどころか段々と上ってゆく。薬の量と種類も増えていくが11月中旬にはとうとう200台に。身体が火照り、心臓がドキドキして夜も眠れない。薬の量と種類を変えようやくこの頃は120台から140台に落ち着いた。夜もぐっすりと眠れるようになった。地に足が着いた感じ。

「そうか『お前もとうとう後期高齢者になったんだぞ、わかったな』という信号だったんだ。それが自分で納得したので、ようやく心身共に落ち着いたんだ。となると、この現実の中で、さて、自分の創造人生をどう創り続けていくか。修整するところは修整し、そのまま継続すべきところは継続し、新たに加えられるところは加え、豊かで、面白く、ドキドキする創造人生を、これからも創り続ける為に、一先ず立ち止まって、じっくりと自分を点検してみる事だ。そう、創りつつ、活動しつつ、点検を!」

今年もあとわずか。来年も稔り多き年でありますように。

猫の呟き その95

生まれて初めて、この年になって血圧を下げる薬を飲む事となった。
十月下旬頃から、何となく身体がすっきりとしないので、家にある血圧測定器で測ると160ぐらい。それが何日か続いた。(昨年は130ぐらいであった)医者に行くと「では、薬を飲んでみましょう。十日ぐらい飲んで又来て下さい。その結果で判断して、その後の方針を立てましょう」が、薬を飲んでも一向に下がらない。180を超えて、190台に。十日後に又医者に。「薬を倍にしてみましょう」しかし、それでも下がらない。それのみか身体が火照って眠る事さえ出来ない。八日後に又医者へ。「今までの薬を半分にして、追加の薬を飲んでみましょう。十日ぐらいたって又来て下さい」火照りは治まり、眠る事も可能となった。(しかし、仕事の前日は眠りは浅く、眠ったのだか、眠れてなかったのだか・・・)血圧も140台から160台にようやく落ち付いて来た。何日後かに又医者へ行く予定だ。さて、その後は・・・。
「後期高齢者医療保険証」を送られて来た私は、こうやって人生の最後を生きていく事となる。その現実をきちんと受け止めて、一日一日を「創造者」として、「創造活動者」として、楽しく、確実に過ごしたい。
戯曲を読む作業は「ギリシャ喜劇」を終り「ギリシャ悲劇」へと進んでいる。これが終れば、たぶん今年中には「現代日本戯曲選集」へと向かう事となろう。急がずに、楽しんで、ゆっくりと作業に励んでいる。

猫の呟き その94

相も変わらず「戯曲」を読んでいる。演劇を志してから心に残った物を本箱に入れてあるから、大変な量である。それを改めて読み直し、これからの演劇人生に必要な物だけを残し、後は整理して、これからどれだけ、残っているか分からぬ「演劇人生」(生きていく人生と同じ事もあるかも知れないが、多分こっちの方が短いだろう)を、より具体化する為に始めた作業である。(自分でも感心するが、大いに私らしい発想法、行動である)当り前の事であるが、いつ終るのか見当も付かぬ。(仕事、生活の合い間を縫ってやるのだから)そして面白い発見が沢山ある。「ああ、私はこの頃はこういう作品、舞台に感動してたんだ。こういう舞台に憧れていたんだ。こういう舞台を創りたかったんだ」という事が一目瞭然。そして、その変化。(つまり今との違い)

今日現在残った作家。

「チェーホフ」「シェイクスピア」(これは私の土台である)。

「森本薫」(華々しき一族、女の一生を通しての戯曲の基準の再確認)

「アルブーゾフ」(私のかわいそうなマラート、イルクーツク物語。演劇を始めた頃の私は、こんなにも素直に、単純に、人間を、人間の未来を信じていた事の確認。そして現在とのずれ。その為のもがき苦しみ)

「木下順二」(民話劇のシンプル、その美しさ)

「長谷川伸」(セリフのテンポ、見事さ)

「エドワード・オールビー」(今を演劇化した先人)

「ベケット」(同上)

「アーサー・ミラー」(同上)

「ソートン・ワイルダー」(わが町、今でも通用する新しさ)

さて、この作業、いつ一段落をむかえる事やら。次回をおたのしみに。

「チェーホフ全集」を読了し、今「シェイクスピア全集」を読んでいる。これからの方針(そんな大袈裟なものでもないか)を決める為に。

決める時は、いつでも「チェーホフ」「シェイクスピア」「宮沢賢治」に帰る。五十才になってからの、常に変わらぬ私のやり方。

ある人が言った。「七十五才にもなって、そんな悠長な決め方をしてどうするの。君は幾つまで生きるつもり。もう、この年になればいつあの世へ行くかわからないんだよ。まあ、成行きにまかせてのんびりと行くんだな」

・・・そう、幾つまで生きるかなんて、誰にも分らない。・・・誰にも。しかし、生きるとは、自分の可能性に向って、一歩一歩進む事。そう思っている、そう信じている。だから、幾つになろうと、どんなに可能性が少なかろうと、私は、私の人生を「ちゃんと生きたい」だから、私は、私のやり方で進めていく。幾つになっても・・・そう幾つになっても!

相変らず「チェーホフ全集」に取組んでいる。

「かもめ」と「ワーニャ伯父さん」は出来れば創ってみたい作品だ。

それも役者としてではなくて演出として。しかしおそらく無理だろう。

十人近い役者が(しかも私のイメージに近い役者を)集める事は、おそらく不可能。

しかし「夢」は持っていた方がいい。張り合いがある。ドキドキする。明るくなる。元気が出る。

「夢」の持ち難い今、それでも人間らしく生きようと、望みを捨てずに、辛くとも、苦しくとも諦めずに、

じっと、静かに、黙々と、一日一日を生きようとするチェーホフの人間達。

そう、私も、短い残り人生、そう生きたいと思う。そして、その「希望」を「共有」したいと思う。

それが「かもめ」「ワーニャ伯父さん」を演出してみたいという

「夢」という願望になってあらわれるのだろう。それにしても二つとも、実に魅力的な作品である。

六月十七、十八日「ZEROキッズ-海のふしぎ」の発表会が、中野ZERO小ホールであり演出を担当した。二日間共に超満員、大成功の裏に無事終了、子供達には良い思い出、体験を残せたと思う。

稽古は一月から始めて六月公演までの六ヶ月間(実質的には三月末の春休みから)私は全部で二十日間の付き合い。

始めは中々エンジンが掛からない。台本を表面的になぞれば良いと思っている。「違うでしょう。この台詞で、何をあなたは言いたいの、何を伝えたいの」と言ってもピンとこない。このおじさん何を言ってるんだろうと不思議そうな態度。「お芝居って創り物なんだけど、その創り物を通して、あなた達が本当に伝えたいもの、届けたいものを観客と一緒に創り上げるの、わかる」「・・・」そう、そんな事わかるはずがない。学校でも、家庭でも、そんな事言われた事なんて一度もないんだから。でも、面白いもので何度も何度も稽古を繰り返し、言い続けるうちに、台詞と場面と自分とが向き合うようになり、その台詞を、場面を、なぞるのではなく、自分のものにしようと試みるようになる。それが面白ければ誉めるし、試みようとの態度が見えれば励ますし、分からなければ待ってやる。そう、待つ事、励ます事、誉める事。それが全て。ZEROキッズでやって来たのは創るのはあなた自身なのだという事をわからせる事。演技とは台詞の表面をなぞるのではなく、それを自分の物にする事、その面白さ、難しさを子供達と親とに体験させてやる事。二十年間、その事だけを子供達とやり続けて来ました。面白かった。充実した二十年間だった。

ありがとう・・・ありがとう・・・

「運転免許証」を返納した。「後期高齢者医療被保険者証」が送られてきた。

二月ことのみ「岸田国士三作品」公演、五月「吾輩は猫である」一人芝居、六月ZEROキッズ「海のふしぎ」ミュージカル上演が終了。中央公論「チェーホフ全集」を読み始めた。いわゆる「終活」の為の第一歩を踏み出した。

二年間かけて活動を整理していって、最後には「くすのき」演出と「一人芝居」とに絞り込んでいく。

「そんな子供や市民劇団なんか相手にしなければ、もっとちゃんとした役者になれるのに」

何人もからそう言われた。そうなのか、そうでないのか・・・分からない。でも、自分が歩んできた道、後悔はない。

人生は一度。遣り直しは出来ない。全て、その瞬間での真剣勝負、結果は後から付いて来るもの。

だから、自分で選択するに限る。

自分で選択したのなら、結果は全て、良くも悪くも、自分のもの。だから、それを素直に受け入れねばならない。「これを」選択すれば「これ」以外の人生は、全て自分の人生から消えてなくなる。そう、人生は選択。あらゆる可能性から何かを選択し、それを生きる事。

人生の最終局面、あせらずに、じっくりと選択し、その選択を楽しんで生きたい。

このページの上部へ

プロフィール

演劇企画「くすのき」は1988年(昭和63年)に、大多和勇、あきなんし、高塩景子の三人で結成。語り芝居という表現方法で宮沢賢治、夏目漱石、説経節作品を上演。2015年7月東京都国立市に劇団事務所移転。代表高塩景子

サイト内検索