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大多和 一覧

猫の呟き

あの「大近松」でさえも

「近松全集」(岩波・全十七巻)に取組みの最中。(これも今回が最後かも)現在十巻目。全て浄瑠璃編。歌舞伎編はまだまだ先。

今回最も驚いた事は、あの天才近松門左衛門でさえも巻を重ねる度に段々と面白くなってくる。素質、才能が基からある天才でも、日々の努力、精進、勉学、稽古を重ねてのあの結果が生まれるのだ。(いや、その努力、精進、勉学、稽古こそが天才の天才たる所以なのかもしれない)

であるなら、凡人、並の私は、もしもそれが好きならば、創る面白さ、奥深さ、可能性を味わいたいのなら、当然日々の努力、精神、勉学、稽古を積み重ねるのが当り前。それが辛いのなら、創る事を辞めればよい。

好きなら努力は努力でなく当り前の日常。人生は日常の連続。日々の生活の連続。難しいようだが、とてもシンプル。

本当にあなたの欲しいものは一体何ですか。

猫の呟き

「生きる」という事

坪内逍遙訳「シェークスピア全集」(新樹社)読了。

凄い。面白い。底の見えない巨大な創造作品。今の私よりもずっと若くしてこれを創った。昔の人は今の私達よりも人生は短くても太く生きた。これらの作品は二十代では二十代での面白さを、三十代では三十代での面白さを、そして八十代になって改めて向き合ってみると「ああっ、そうか!」「えっ、こんな面白い処を、読み飛ばしていたんだ!」「おや、何でここをカットして上演しちまったんだ!」「あらっ!おやっ!まあ!」の連続。それまでは何を読んでいたのだろう。でも、人生ってそんなものかも。そう、偉大な作品、偉大な作家の創造はどこまでいっても切りがないし、読み切れない。だから何百年も読み続けられるのだ。そんな大きな作品を、無謀にも自分の身の丈に合わせて見切ろうとする。それは結果として自分の成長を止めてしまう事だ。人生をいつまでも、最後まで楽しむには、生き続ける為には、謙虚に、飽きずに、倦まずに、その日その時を大切にして、稽古、稽古、稽古。学び、学び、学ぶ努力を。

すれば人生は楽しみを、創る喜びを、決して自分を見捨てはしない。

そう、読了直後の今、以前のように安直に、これらの作品に立ち向うのが怖くなった。

どの場面も、どの人物も、面白い、魅力がある。そして、それを舞台上で生かすには、生きるには、豊かな演技力が必要。真摯な努力、弛まぬ精神、地道な稽古の積み重ねが必要。下手でもいい、正面から向き合って、当って砕けろ!それらの作品に今の私に出来る事。今の私の条件の中で、どうそれらを具体化していけるのか、はたして上演が可能なのか・・・。失敗を恐れずに正直に、全力でぶつかっていく事。

今、生きて、演劇人として生きて、生き続ける私。今、私はそれをどう具体化して行動すればよいのか。どう、舞台化するのか・・・。

難しい、しかし遣りがいのる宿題を突き付けられた。

そう、生きる事はチャレンジする事。

それが生きる楽しみなのだ。

猫の呟き

又、旅が始まりました

「吾輩は猫である」公演から八日。沢山のお客様に足を運んでいただき誠にありがとうございました。気持の整理も付き、坪内逍遙役「シェークスピア全集」を読み始めた。これで何度目だろう。(もしかして、これが最後かも)

「シェークスピア」には今まで何度も挑戦して来ました。最初は俳優学校卒業後入団した「青年劇場」の「十二夜」アントーニオの役。次は「真夏の夜の夢」のフルート役。それから「ロミオとジュリエット」のベンボーリオの役。ここまでは青年劇場時代。飛び飛びではあるが七年間ぐらいは舞台に立った。

その後は自分達で結成した劇団での「十二夜」サー・トービー・ベルチの役。ここからは全て台本作りも、演出も、私自身で。で、その時から坪内逍遙との関わりが始まりました。坪内逍遙訳の何に引かれたのか。そう、それは台詞(セリフ)が芝居の台詞として訳されているからです。

何を当り前の事をと言うかも知れませんが、これは芝居を実際に上演する者にとっては最も大切な事。理屈ではなく感性の問題なのです。

俳優学校で教えてもらい、今でも大切にしている事の一つに「台詞は歌い、歌は語れ」という基本があります。これは難しい。本当に難しい事です。でも、これは基本中の基本。これが出来てこそ、舞台は「文学」ではなく「芝居」になる。「坪内逍遙」訳はそれが土台になっている。そしてこの「台詞は歌い、歌は語れ」を土台に、「マクベス」「リア王」「十二夜」「ロミオとジュリエット」「コリオレーナス」「ハムレット」「ウィンザーの陽気な女房」の台本作りをし、演出、役創りをし、シェークスピアに挑戦し続けてきました。私はシェークスピアが好きです。大好きです。ならば、次は、そう「マクベス」を。

「一人語り」で題は「マクベス一代記」

じっくりと創り、楽しんで。その為にも坪内逍遙の面白さ、難しさを再度勉強し、それを生かし、役創り、演出の糧に。

さて、始まりました。舞台創りの旅が。無事、皆様方の前に立てるよう、体力、気力、創造力に気を付けながら、一日一日、一つ一つを楽しみながら旅を続けます。

乞御期待!

猫の呟き

巡り巡って言葉は自分の胸に

「リウマチ性多発筋痛症」に罹ってしまいました。痛くて、眠る事が出来ず、食欲もなく。一週間寝込んで四キログラム体重が減少。

服薬して痛みは無くなったが、一週間で四キログラム減少した身体がどうにもならない。朝の体操を以前の半分にしてトレーニングを始めたがまどろっこしくて、自分で自分の身体にイライライライラ。が、焦りは禁物。ゆっくりと、ゆっくりと。

そう、生きていると色々な事が出来(しゅったい)する。この状態から最高の舞台を生きる為には、さて、どうする。

以前、よく劇団員に言っていた事がある。「調子の良い時は、何もしなくても大丈夫。観客との間に、自然で最高な交流が出来ている。だらか、その流れに乗って余計な事はしない事。しかし、調子の悪い時、集中出来ない時、体調の良くない時、さあ、どうする。そういう時に、全力を振り絞って、舞台に立つ。そして『うん。まあいいか』ぐらいの評価を得る。いいね、調子の悪い時でも、来てよかったぐらいの評価を得る。それがプロ」

巡り巡ってその言葉が今自分の胸に。

そう、生は怖い。生は難しい。生は一筋縄ではいかない。だから生はすばらしい。生は輝いている。だから生に生きよう。

そう楽しもう。生きよう。今の自分の全てをかけて。

猫の呟き

程々に、でも興味を失わずに

公園でベンチに向かって芝居の稽古。と、その時、私のすぐ後ろで

「うつですか・・・」

「はっ・・・」

「鬱(うつ)ですか・・・」

「・・・いえ、鬱ではありません・・・実は芝居の稽古しておりまして・・・」

「は・・・」

「ええ、ですから、これは芝居の稽古・・・」

「・・・ああ、お芝居の・・・では鬱ではないんですね」

「はい・・・」

「・・・では失礼します・・・」

老婦人は、十分には納得しかねた顔で去っていった。

(ヒヤーッ!参った、参った。十分に注意をして、誰も居ないと思ったので始めたのだが、いや、参った、参った)外での稽古が好きなので、公園での稽古はしょっちゅうなのだが、今日は少し注意が足りなかった。もっと注意して。でないと(変な男が公園に)などと言われかねない。

稽古が大分、オーバーペースになっていたのか、あるいは体力がこの分量に追い付かなくなっていたのか、腰、尻、足にかけてのモーレツな痛み。「こんなに悪くして。もっと早く来なければ。若い、若いと思っていても年令は正直です」そう、その時、その時の状況の中で、いかに最大の創造を創りだすか。

人生の一つの曲り角を、また曲ったようだ。無理をせず、諦めず、消極的にならず、でも、もっと良い物を創りたいとの思いを失わず、毎日毎日を淡々と、しかも生きる事に興味を失わずに・・・。

それにしても、生きるって、何なのでしょう。

猫の呟き

反復がこんなにも・・・

反復がこんなにも気持がいいなんて。

五月公演予定の「吾輩は猫である」と来年公演予定の「マクベス一代記」

さらにレパートリーとして持っている「五重塔」、宮沢賢治作品八本、

「ういろう売り」を、計画に従って(多少は色を付けて)

毎日毎日、飽きもせずに、稽古、稽古、稽古。

今までの演劇人生で、自分自身の稽古の為に、こんなにも潤沢に、

時間、エネルギー、精神力を使った事は一度もなかった。

不可能だった。

それが今、可能に!

コロナ禍、年令、自分自身の心構え、人生プラン。

それら全てが組み合わさって今のこの状況を作り出している。可能にしている。

毎日の新しい試み!(ああでもない、こうでもない。

やっても、やっても、決して飽きる事のない毎日の稽古。

反復は、自分の可能性の鋤(すき)返し。

人生には、こうした幸せもあるのだなあ。

猫の呟き

演るなら、努力し続けろ

「マクベス一代記」どうやら覚えた。昨年、毎日毎日、嫌になる程テープを聞き続け(その為に筋は完全に自分のものになった)

正月早々、手書きで稽古用台本を作り(今になってみると、この作業で随分とセリフが自分のものになったようだ)

週半分は「吾輩は猫である」の稽古(今年五月公演予定の為の稽古)

そして後の半分は「マクベス一代記」の稽古(これは来年上演予定の為の稽古)。

よくも飽きずに毎日清水公園へ通ったものだ。

そう、この年になれば、若い頃とは全て違う。

二十代、三十代の頃はセリフを覚える苦労なんて実感が無かった。セリフは自然に(自分の感覚では)覚えられた。

それが六十代になり、七十代になり、まもなく八十才。

意識的に、しかもかなり努力しなければ、セリフは覚えられない。自分のものとはならない。

身体の衰えも脅威だが、記憶力の衰えも、毎回毎回、次は大丈夫なのだろうかと脅しをかけてくる。

創り続けるとは、その脅しとの対決、そして具体的、しかも今の状況下で、最上の方法を見付け、実践する行動力、持続力、意志の発露・・・。

やりますよ、これからも。ええ、だって、好きだから。創り続けたいから。それが一番うれしい時間の過し方だし、幸福だから。

マクベス、マクベス夫人、バンクォー、王、その他様々の人物をどう創り、どう話を進め、面白い舞台を創るか。

これらは全て「吾輩は猫である」が終ってからの事。

まずは第一期終了、土台作りは出来た。

猫の呟き

ああ・・・・・

二〇二一年も間も無く終り。月日の経つ事の何と速い事よ。

その月日の流れに竿差して、今年も又、創る事、創り続ける事に拘り続けた。でも何と溜め息を付く事の多くなった事よ。そう、演劇はライブ、生、観客との共同創作、それこそが命。何回何十回演じても、その都度事に、その日、その場所で、観客と創る。開演の合図と同時に創り始める、創り続ける。待ってはくれない。その為にはその為の準備、身体、声、気力等を、その瞬間に動き出せるように常日頃からの準備、鍛錬が必要。更にその準備、鍛錬の為の、毎日のトレーニング、土台作りが。

フウ・・・・・

今年は何とかやり続ける事が出来た。が、気が付けば満身創痍、どこも彼処も傷だらけ・・・。こんな状態だと来年は・・・

ああ!・・・・・

でもやりたいなら、創り続けたいなら、やらなくちゃ、

今年やった事を来年も・・・・・。

そう、誰が選んだのでもない。自分が決めた道なのだから。

猫の呟き

次と、その次と

先日「吾輩は猫である」の稽古をスタッフに観てもらった。具体的なアドバイスを貰い、今回の方針が明確になった。そして来年の五月十五日の公演に向けて、その方針に沿って・・・そう、後は稽古有るのみ。日曜日を除いて、一週間で全部が終るように計画を立てる。(勿論計画通りとはいかない事は固(もと)より承知)稽古していて感じるのは、驚く事は、兎に角、口の動きの鈍く、悪くなった事。しゃべる事も、色々の筋肉を使っての事。だから年を取ると衰えるのは理の当然。その結果、有る時間しゃべり続けると、疲れからか衰えからかアーティキレーションが悪くなってきて、自分の思っている通りに口が、舌が動かなくなる。(あーあ、年を取るとは、こういう現実を目の前に突き付けられる事なのだ。)ならば、舞台に立ちたいならば、やるっきゃない。稽古、稽古、も一つ稽古。とにかく稽古を通して、口、舌の筋肉を鍛えねば。能書きはその後で。俳優学校時の様に口をしっかりと開けて、はっきりと、はっきりと。面白いもので、稽古を重ねていくうちに、セリフが最後までハッキリと言えるようになる。稽古、稽古。(大谷君ありがとう。)

「吾輩は猫である」の次の「マクベス一代記」ようやく台本が出来上った。台本を作り、テープに吹き込み、台本を直し、又吹き込み。これを何度繰り返した事か。(自分のセリフを、こんなにも真剣に聞き続けたのは久し振りだ。)何とか一時間以内に納まった。さて、これをどう演技で面白くしていくか。まずはセリフを覚えて、それからじっくりと・・・

次と、その次と。それ以降は考えない。(でもやりたい作品は沢山有る。)一つ一つを大切に、「舞台上でさようなら」を言えるつもりで。人間、年と共に考えも、行動も変っていくものだ・・・まあ、当り前と言えば当り前の事。

猫の呟き

不意打に・・・

杜野木菟さんが亡くなった。突然、不意打に・・・。

私達の結婚式に来て下さった。(家内の保母学の同級生として。私には記憶にないが)

話はとーんと飛んで、「くすのき」結成後すぐ。

「くすのき」三人で作った宣伝物のあまりにも幼稚なのを見兼ねて

「あの、私こうゆうのに興味があるんです。お手伝いさせていただけませんか」

本当に控え目で、謙虚で、出しゃばらない女性。

それからずーっと、ずーっと亡くなる日まで、「くすのき」の宣伝物を創り続けて下さいました。(たまには小道具、衣裳等も)

私が木菟さんと初めて御一緒に仕事をしたのは、木菟さんが学童の仕事をしていた頃。子供達とワークショップを。木菟さんが公民館に移動してからは「くすのき」の公演を実現していただいたり、諸々の講座を。

 「公民館という、時間、金額の制約の中で色々とやってみましょう」と、面白い、実験的で、ドキドキする講座を企画してくれました。

ありがとう、私の創造意欲を燃え立たせ、励ましてくれました。

 「くすのきの学校公演を観てみたい」と千葉県の小学校まで来てくれて、仕込み、公演、片付けまでを・・・。

福島県喜多方市「喜多方発21世紀シアター」に「くすのき」が参加してから最後まで、一緒に参加して、宣伝、野菜、果物の差し入れ等々も・・・「そう、あれは『くすのき』の甲子園。あなたはその甲子園の大切な、無くてはならないマネージャー兼応援団・・・」

ありがとうございました。

あなたの見守りを心に、これからも一作品、一作品、全力で、楽しんで創り続けます。

・・・さようなら・・・

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プロフィール

演劇企画「くすのき」は1988年(昭和63年)に、大多和勇、あきなんし、高塩景子の三人で結成。語り芝居という表現方法で宮沢賢治、夏目漱石、説経節作品を上演。2015年7月東京都国立市に劇団事務所移転。代表高塩景子

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