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大多和 一覧

猫の呟き

稽古の合い間に、小学館「昭和文学全集」を読み始めた。

三十六冊も有るのでいつ読み終わるやら。

何でこれを読み始めたのか。ぼんやりしている頭にこんな考えが浮んで来た。「俺って、一体、今までに何人位の作家の作品を読んでいるんだろう」

そう、誰でも好きな作家、思想家を持っている。そしてそれは年代と共に変ってくる。(勿論変わらない作家、思想家も有る)とすると名前だけは知っていても、その作家の作品を一編も読んでいない作家って、どの位、居るのだろう。そう、どれ位。

そんなボンヤリとした事が切っ掛けで、読み始めた。

まず、今まで読んだ作品は飛ばす。初めての作家の作品をまずは一つ読んでみる。面白ければ次。そして面白くない作品に出合うと、そこで次の作家に移行する。と、

「へえ、俺ってこんな作品、世界が好きなんだ」

そう大変面白い。自分で気が付かなかった自分を発見する。改めて自分を考えてみる。それが面白い。

人間って、動物と違って、暇が有るから、生きる為の基礎(衣・食・住)の時間を短くして、ボンヤリする時間が出来たから、「我」なんていう事を考え出したのだ。そして生きている間は、この「我」と言う無駄を考え続けるのだ。(死ねば又物質に還元されていくのだが)

「我」を考えたとて、それが何になる。そう、それも一理。

でも、人間は、それが何にもならなくても無駄であっても、「我」を考える。考えざるを得ない。人間が人間で有る限りは、ボンヤリと、あるいはしっかりと、色々と有るが、とにかく「我」を考える。それが人間なのだ。色々な無駄を考え、生きる事、それが人間なのだ。

とか何とか色々理屈を付けるが、要は、面白い、そう、それを考え、追求する事が面白いのだ。

人間て、変な生き物だ。無駄を面白がる生き者なのだ。

猫の呟き

今、今が続いて・・・

酷夏もいつの間にか終り、そしていつの間にか秋。ことに早朝、体操の時と、一眠りして目を覚ます午前一時頃、特に「秋が来たんだ」と深く思う。

念願の「くすのき演劇研究室」も一段落。十一月公演の「起てハムレット」の稽古にも一段と力が入る。この公演の後はと、自分のスケジュールを考えてみる。

来年2021は、幸田露伴原作「五重塔」を春に。川上弘美作「神様2011」演出を夏に。そして秋には「むかしあったとさ」改定版を公演。

次の年2022は、夏目漱石原作「吾輩は猫である」を春に公演。説経節「かるかや(石童丸)」を夏、秋公演の演出。

次の年2023はW・シェイクスピア原作「マクベス」を春に公演。以前「くすのき」三人で上演した作品を一人芝居用に。考えるとすぐに行動に移すのはいつもの事。第一稿出来上り。しかし、うーん、難かしい。第一稿の余白にこんな覚え書きを。

 一人芝居ではなく一人語り

 演じるというよりも語る

 動きながら、音を出しながら、演じながら語る。

この謎のような覚え書きを三年かけて具体的な形、行動にする。これぞ創る面白さの醍醐味。この面白味を味わう事が面倒臭くなった時がおそらく、私の創造からの引き時。

その時はまだのようだ。

そして秋は夏目漱石「坊っちゃん」演出。

そして2024、春、W・シェイクスピア「リア王」の一人芝居を。秋は夏目漱石「夢十夜」演出。

「おい、2024て、お前八十二才だよ。大丈夫なのか。」

そう、まずは言ってしまう。口に出してしまう。そのプレッシャーの中で創り出していく。昔からの私のパターン。

そう記憶力、体力は間違いなく日々衰えていく、衰えている、これは厳然たる事実。だから、それに立ち向う為には、その厳然たる事実に立ち向っていく為には、気力、それから日々の具体的行動それが私の武器。

二十代はセリフは稽古場で稽古しながらでも覚えられた。それが五十代、六十代、七十代と段々と衰えていって。そう、今ではセリフを完全に自分のものにする為には二年はかかる。だから焦りからでなく、自分のやりたい事を実現する為には、その時間、行動を、自分で具体化する。それが夢を現実にする道。

やれるか、やれないか・・・そう誰にも分からない。でも、人生は全て中途で終る。ならば、中途で終るその日まで、何かに向って生きるって、面白いじゃないか。そう、生きる、生きたい、その日まで。

猫の呟き

さようなら・・・ありがとう

二年弱続いた「くすのき演劇研究室」も、今回をもって終了する事となりました。

さようなら、そして、ありがとう。

これが今の私の偽らぬ気持です。今という時代が、コロナ禍の中で、拡大されて、鮮明に見えました。

ロスを省いて、目的を狭めて、速く、速く、速く!

それに対して私の立てた方針は、ゆっくりと、廻り道をして、一歩一歩確かめながら・・・。

「基礎の基礎」を面白がってくれた事(参加者があんなにも沢山集まるとは!)の驚き。

そして、ある程度予想してはいたが、『与えられた「課題」を自分で創って来る』という、当初から目的にしていた段階に至った時の参加者の激減。

働きながら、自分が所属する劇団活動を最優先しながら、今の自分の巾を広げ、豊かにする為の「試み」を、定期的に、具体的に、持続し続ける。

時間的にも、体力的にも、全てにおいて無理は予想していましたが、現実はその予想をはるかに上回って・・・。今の私の条件(年令、その他)からすれば、この形での「試み」は一応終了とする事が正解。それが「生きる」という事。

これからはまずは、自分の土台である「くすのき」の活動を再点検する事によって、今の条件下で自分の考えを具体化する事を一歩一歩、確実にすすめ実践していきたいと思います。

「自分の得たもの。学んだものを次の世代にバトンタッチ」という課題も、その中から具体的方法が見えてくるでしょう。

無理は禁物!

では、又いつかどこかでお逢いいたしましょう。

それまでは、お互い、元気にそれぞれの人生を楽しみましょう。

終りに、今回、幻に終った「くすのき演劇研究室」の呼びかけ文をお届けします。

 

「いよいよ本番」

2018年11月から始まった「くすのき演劇研究室」も、コロナ騒動での中断はありましたが9月12日をもって一区切り。

「基礎の基礎」から始めて「立ち稽古」まで。よくぞ、ここまで付き合って下さいました。心から御礼申し上げます。

この間二年弱、皆様との「試み」の中から「創造」とは自分の可能性を具体化する事だという事がよくわかりました。

「何かを教えてくれるだろう」「何かを与えてくれるだろう」は駄目。

「私はこう思う」「私はこう創った」「さあどうだ勝負しろ」

そうです。そこには確かに上手い、下手はある。でも、それは過程。固定されたものではない。

人間に可能性が有る限り、可能性を信じる限り、もっと豊かな、もっと面白い自分を表現する為に立ち向かってみませんか。 

条件の比較的恵まれた人、厳しい条件の人、色々有るでしょう。でも、その条件の下で、自分を冷静に見つめて、自分の条件を判断して、その中での可能性を、あなたの今有る可能性を追求し、具体化してみませんか。

教材としてA・チェーホフ「ねむい」「かよわき女性(おんな)」を用意致しましたが、それには拘りません。30分以内の作品であれば、自分の創りたい作品を用いてもかまいません。ぜひ、自分と、私と勝負してみませんか。そうした「冒険者」を是非お待ちしております。

猫の呟き

私の夏休み

七月二十五日の「むかしあったとさ」公演後の約一ヶ月間、図書館からDVDを借りて鑑賞する事を中心とした生活を送った。これが今年の私の「夏休み」。「歌舞伎」「能」「狂言」「落語」「浪曲」「映画」「白石加代子(百物語)」。百作品以上を鑑賞したと思う。

(よくも、まあ見たものだ)

見て、見て、見続けるうちに、あるものが見えて来た。自然に。ゆったりと。

名人、上手、魅力的な表現者は、素の自分、演じる自分、役に成り切る自分の間を、いとも簡単に、瞬時に、行ったり来たりしているという事実。それも客の目の前で。当り前のように。

つまり、それらの人達は表現者としての素の自分も、表現技術も、役に成り切る感性も、客の目の前で、まるで当り前のように瞬時に行ったり来たり出来るように、十分に鍛えているという事。

そう、魅力的表現者である為には、素質も、稽古も、私達凡人からみたら、想像も出来ないような稽古人生を生きているのかも。当然の事として、そうした領域に、一歩でも、半歩でも近付く為には我々凡人は、あきらめずに、あせらずに、一日一日を、より良き表現を目指して努力する外はない。そう、それが嫌なら演劇を表現者としての人生を辞めればよい。

明日からは十一月公演「起てハムレット」を中心とした、いつもの日常に。

今年は例年にはない「夏休み」を送った。

猫の呟き

その条件下でやれる事を一つ一つ大切に

七月二十五日(土)国立市芸小ホール地下スタジオで「むかしあったとさ」を上演した。

このコロナ禍の真っ最中、しかも直前に都の患者数が一日に三百名以上。もしかしたら中止という事態も頭を過った。長く演劇人生を送っているが、こんな宙ぶらりんの状態で本番を迎えるのは初めて。

当日、スタッフは一つ一つ感染対策を具体化していく。私は舞台稽古、本番を迎える為の準備に没頭。そう、一人一人が、自分の役割を確実にこなしていく事。観客に、役者の飛沫が飛ぶ事のないように最前列の座席は全てアウト。密にならないように観客間を広く空ける。役者間も、あまり近付かないように、ミザンスを変える。(こんな作業も初めて)

さて、開演。始まってみると妙なもので、いままでと変わらぬ役者同志、観客との交流が。

やってよかった!

終演後、又は後日の観客の感想も、そうした私の自信を裏付けてくれる。

さて、このコロナ禍、はたしていつ終息するやら。たぶん長期戦を覚悟しなければ。

次の日「むかしあったとさ」の新しい台本を書き始めた。

そう、公演は稽古の始まり。もっともっと面白い、自分らしい舞台を創りたい。

その意欲、行動力が有る限り、私の演劇人生は続くだろう。

秋に予定している「起てハムレット」来年予定の「五重塔」の一人芝居。来週から再度稽古を始めよう。

そう、やりたい事は山程有る。でも、自分の条件下で、一つ一つ確実に。それが人生、生きる事。

猫の呟き

覚悟

「研究室」での「立稽古」が始まった。初めての試み。やりたかったが、私にも、参加者にも、そこまでの覚悟はなかった。

仕事を持って、あるいは家庭を持って、その上に自分の楽しみである「市民劇団」の活動に参加して、尚その上に「自分の創造に満足せずに、もっと、もっと、自分の創造を深め、豊かにする為の自主的、自覚的行動を選択する事」の大変さはよく分かる。誰でももっと上手くなりたい。もっと自分の可能性を深め、広げたい。当り前の事である。

でも、今の自分に、それを実行に移す、時間的、金銭的、肉体的、その他諸々の条件がはたして有るのか、無いのか。

有ると言えば有る。

無いと言えば無い。

要は自分の人生は、自分で決めるしかない。人はある時代を、ある条件の中で生きる。その時代をどう考え、その条件をどう利用し、どう変えるか。それぞれが、それぞれの思考、行動によって、それぞれの人生を生きる。

「創造する事」は面白い。楽しい。

が、その面白さ、楽しさを、どの程度、深め、追求し。実行するか、あるいは出来るのか。あなたはどう生きたいのか・・・。

人は自分の人生を、自分の責任でもって、生き、楽しむ。当然の事。他人に決められる人生なんて真っ平。

「創造も同じ」

もっと楽しみたい。もっと深め、広げたい。その為に、自分の責任で、その時間、金銭、条件、その他を作り、生み出す。

面白い。ワクワクする。ぜひ、それに私も参加させて下さい。手伝わせて下さい。

やりたいです。やってみたいです。

参加者は三名。

チェーホフ「かき」が二名。

自作「炎の人、滝沢修」が一名。

面白かった、楽しかった。帰りの電車での疲れの激しかった事。久し振りに、夕食後、かなり長時間、食卓の前に坐り込んだまま・・・こんな時間の過し方、久し振りだなあ・・・

「むかし あったとさ」稽古もいよいよ大詰。二人共、眼の色が変わって来た。

コロナ禍の大変な状況下で観に来て下さる方達には、是非喜んでいただきたい、楽しんでいただきたい。いつもとは異なった時間を味わっていただきたい。体全体を使って、シンプルな、分かりやすい舞台を作りたい。

そう、何事も詰が大事。細かい事は捨て去って大胆に、シンプルに。そして楽しく。

猫の呟き

報告、そして決意

坪内逍遙訳「シェークスピア全集」(新樹社)読了。

「ロミオとジュリエット」「マクベス」条件が適うなら公演してみたい作品。年齢に関係なく、バイタリティがあり、スピードがあり、意欲があり、しかもそれを表現に具体化する為の努力を惜しまぬ人間が集まるなら、面白い舞台が実現するだろうし、又その自信も有る。少人数で、スピーディーに、そしてダイナミックな舞台・・・。人間いくつになっても「夢」は見続けていたいもの。

「コロナ非常事態下」の三ヶ月間を経て、今痛烈に感じている事。

私の若い時分、「毎日オリオンズ」(今の「ロッテ」の前身)に榎本喜八という一塁手が居た。地味だが、「安打製造機」と呼ばれたぐらいの名手。何故だか知らないが好きだった。

その榎本選手が引退後の話である。引退後も毎日毎日バットを振り続けていた、練習に余念がなかったとの事である。

もし、どこかの球団から声を掛けられたら、すぐに出場出来るようにと・・・彼はすでに引退したのである。普通なら、プロ時代の事は過去。いわゆる、残りの人生、悠々自適を決め込むだろう。しかし、彼は、プロ時代と同じ練習に余念がなかった。

もし、声がかかったら・・・そう、そうなのだ。彼は「職人」なのだ。引退しても毎日練習に打ち込む。彼の気持、行動が、職人である、職人で有りたいとする、私にはよく分かる。

世間は、他人は、彼を榎本喜八を変人という。変わり者という、そう、彼は「変人」変わり者なのだろう。しかし「仕事」とは職人とはそういうものだ。「これが私です」その矜持こそが、その打ち込みこそが職人の「宝」なのだ。その為には、その誇りを保つ為に彼はどんな状況の下でも、ただ黙々と、稽古に、練習に励まなければならないのだ。

「祭」が復活する日まで、生と生との交流が復活する日まで。

それが、いつの日、いつの頃なのか、それは誰にも分からない。もしかして、それは永久に来ないかも・・・

その頃、私の体力は、気力は、創造力はそれが可能な状態であるのだろうか・・・。

でも私は励む。榎本喜八選手を目標にして・・・。

猫の呟き

坦々と、淡々と

毎日毎日が同じ事の繰り返し。それが、表面的には未知のウイルスの出現によっての、私達の反応、対応、防御方法・・・。

そう、その事で人間は生かされているのだという当り前の事実を思い知らされる。

そう、これも人生、これが人生。これを受け止め、どう毎日を生きるか・・・ 今、私達はそんな大きな問いかけを毎日毎日されているのかも・・・近松全集全十七巻読了。当り前の事ではあるが、近松はやはり浄瑠璃作者。語り物の大天才。夏目漱石「吾輩は猫である」の「・・浄瑠璃の近松ですか・・・」という一文の意味がよく分かった。翌日から坪内逍遙訳「シェークスピア全集」(新樹社)を読み始める。戯曲三十七作品、詩三作品。(今現在二十一作品を読了)緊急事態宣言もまもなく解除になるだろう。そうなれば具体的な演劇活動も徐々にではあるが、始められるだろうし、いつまでこんなゆったりとした読書を・・・。

でも、こんな機会、そうそうあるものでもなし(たびたび有っては困る)具体的演劇活動をやりながら、最後まで、じっくりと読み切ろう。(こんな気持ちも、今回学んだ事の一つか)

今年は何回舞台に立てるのか。何本演出が出来るのか。何人の創造者と向かい合えるのか・・・

・・・有るがまま・・・そう有るがままです。

猫の呟き

えーッ!嘘ーッ!有り得ないーッ!

こんな変てこりんな時間が、こんな長期に渡って、我人生に有ろうとは・・・。

人生終りあるまでは、何が起こるか分からない・・・。

「近松全集」(岩波)九巻まで読了。今十巻に入ったところ。こんなに沢山、長期に渡って浄瑠璃ばかり読む事は、もうこれからは無いだろう。これも、今度の「異状事態」の余波の一つ?・・・

「語り」(浄瑠璃)の天才、大名人、近松の作品であっても、今の私にとって演ってみたい作品は、九巻まででたったの三作品。(この年で、しかも私が、これから演ってみたい語ってみたいという事も、少し変?向う見ず・・・)

でも、人生必ず中途半端。一つ一つ、その時その時は、完成を目指して、創り、行動し、生きるのだが、創り上げ、一応完結となり、少したってみると・・・あーッ。あそこをこうして、ここをこうしてと・・・。

そう、完結はいつも始まりの合図。

いつも、いつも常に完成、完全を目指すが(でなければ観客にも、仲間にも、相手にも失礼)しかし、終ってみれば、そこは次への出発への合図。

それを、倦まず、飽ゆまず、生き続ける、創り続ける・・・

そう、それが人生の醍醐味。

さあ、明日も楽しもう!

猫の呟き

あるがまま

あれよあれよと広がるコロナウイルスの猛威によって、三月の予定表は一つ消え、二つ消え・・・いつの間にかまっ白に。そしてその勢いが四月の予定表にまで侵入して・・・。フウ、まあ人生色々、人間の小ささ、弱さ、傲慢さとつくづくと思い知らされています。

でも、こんな時こそ、自分を知り、試す良いチャンス。今遣れる事を一つ一つ確実にと、「自分のレパートリー」十作品の稽古。洗濯をいつもと変わりなく、月初め、月半ばに小宮公園で。気分転換にもなり気持良い。朝早く出かけ夕方まで、弁当、コーヒー、お菓子持参でユッタリと。さらに週一度、今回止むを得ず延期となった「起てハムレット」、七月公演予定の「むかしあったとさ」、さらには来年公演予定の「五重塔」の稽古を清水公園で。こちらは朝出かけ昼まで約三時間。コーヒーを一本妻に用意してもらい、飴三粒でOK。こちらも気分転換としては最高。さらに、さらに、朝のトレーニングに加えて、夕方三十分程度の軽いトレーニングを。これは家の近くの遺跡公園で。「精が出ますね」との御婦人方の、激励とも冷やかしとも判断しかねる声を背に受けながら黙々と。まあ、やれる事を一つ一つ確実に。それが人生、それが私・・・。まあ、こんな事も人生有るさ・・・。

図書館が閉じられたので仕方なしに家に有る本、それも長期戦を覚悟して、腰を落ち着けてじっくりと取り組める奴を見繕って。

「月間マンガ少年別冊『火の鳥』」(手塚治虫作)①~⑨をじっくりと。コマの展開の仕方、テンポの良さ、アップ、ロングのやり方の巧みさ等々、大いに演出の参考になる。それにしても何年ぶりに読んだのだろう。次に「月間マンガ少年別冊『サイボーグ009』」(石森章太郎作)①~②を。前作に同じ。文字を出さず、絵だけで勝負しようとするシーンに作者の凄みを感じる。さらに中央公論「大乗仏典」全十五巻を読了。(そんなにも非日常の時間が何の前触れもなしに与えられたという事です)日記を繰ってみると以前読んだのは2014年。こんな偶然が降りかからなければ再度目を通す事もなく終ったかも。そう考えてみればこれはこれでありがたい事かも・・・。

 あるがままに生きる

 行く河の流れは絶えずして、しかも元の水にあらず・・・

 空

 完成という事は、人間の、人類の歴史には有り得ない、全てこれ中途で終り・・・

 それを土台に人生を生きる。

 その中で俺は演劇という人生を選択した。

 俺はその選択を、

 つまり演劇という人生を、

 成功も、失敗も、賞賛も、嘲りも、名誉も、褒賞も、そんな何もかもを当り前の事と受け止めて、

 黙々と、喜んで、生々と、工夫に工夫を重ねて、やり続ける、やり続けられるのか。

 えっ、その覚悟、勇気、努力、体力、気力があるのか・・・えっ、どうなんだ・・・。

 やる、やります、だって、それが私の選択した道だから・・・・・。

 「大乗仏典」は読む度事に、重い課題を私に突き付ける。ありがたい事です。

次は、そう「近松全集」(岩波書店)に取りかかろう。全十七巻・・・コロナウイルスが終息して、途中でその冒険が終りになってくれればよいのだが、どうなる事やら・・・。

ああ、明日(あした)、天気になーれ!・・・・・

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プロフィール

演劇企画「くすのき」は1988年(昭和63年)に、大多和勇、あきなんし、高塩景子の三人で結成。語り芝居という表現方法で宮沢賢治、夏目漱石、説経節作品を上演。2015年7月東京都国立市に劇団事務所移転。代表高塩景子

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