程々に、でも興味を失わずに

公園でベンチに向かって芝居の稽古。と、その時、私のすぐ後ろで

「うつですか・・・」

「はっ・・・」

「鬱(うつ)ですか・・・」

「・・・いえ、鬱ではありません・・・実は芝居の稽古しておりまして・・・」

「は・・・」

「ええ、ですから、これは芝居の稽古・・・」

「・・・ああ、お芝居の・・・では鬱ではないんですね」

「はい・・・」

「・・・では失礼します・・・」

老婦人は、十分には納得しかねた顔で去っていった。

(ヒヤーッ!参った、参った。十分に注意をして、誰も居ないと思ったので始めたのだが、いや、参った、参った)外での稽古が好きなので、公園での稽古はしょっちゅうなのだが、今日は少し注意が足りなかった。もっと注意して。でないと(変な男が公園に)などと言われかねない。

稽古が大分、オーバーペースになっていたのか、あるいは体力がこの分量に追い付かなくなっていたのか、腰、尻、足にかけてのモーレツな痛み。「こんなに悪くして。もっと早く来なければ。若い、若いと思っていても年令は正直です」そう、その時、その時の状況の中で、いかに最大の創造を創りだすか。

人生の一つの曲り角を、また曲ったようだ。無理をせず、諦めず、消極的にならず、でも、もっと良い物を創りたいとの思いを失わず、毎日毎日を淡々と、しかも生きる事に興味を失わずに・・・。

それにしても、生きるって、何なのでしょう。