「基礎から始めて基礎に至る」
来年公演予定(あくまで予定)の式亭三馬作「四十八癖」の江戸弁の勉強にと、図書館から落語のCD、DVDを片っ端から(多分五十枚以上。これは私の凝り性をよく表わしていて、やるとなると徹底的にやる)借りて来て、聞き、観始めた。江戸弁の参考にも多少はなったが、それはもっと大切なもの、根本的なものを学ばせてくれた。それは、「語り」「一人語り」の基礎大元についてである。
CD、DVDを通して多くの演者を【観、聞いて】、「上手いなあ」「凄いなあ」と圧倒される。名人、上手の作品は、間、口跡、口調が何とも言えず素晴らしくて、その上に全ての言葉、文章がはっきりとこちら(観客)に伝わってくるのである。そして、こちら(観客)が、考え、感じ、それを消化する間をきちんと作ってくれるのである。
これは当り前、当然のことである。ライブでは当り前すぎて「お前、今頃そんな事に感心して何を寝惚けてるんだよ。」と笑われるであろう。でも、「その当然、当り前の事を、あなたは本当に実践なさっていらっしゃるんですね。」と念を押されると「そりゃ、お前、その何だよ・・・」と腰砕けになってしまう。
そう、全ての本質は単純なもの。その単純な本質を忘れずにじっくりと、どこまでもどこまでも創り続ける事の土台にする、し続ける事の何と難しい事か。
只管打坐(しかんたざ)。基礎から始めて基礎に至る。
これをやり始めてから終りまで何段積み上る事が出来るか・・・。
創る事の創り続ける事の単純で、何と奥深き事よ。
ああ!・・・

