二十七日が「鉄輪の女(かなわのおんな)愛寿亜(めじゅあ)」の稽古日なので、二十五、二十六日と「都立小宮公園」で恒例の稽古。リュックサックに、フランスパンに三温糖をぎっしりと挿み込んだのを一本(昼食用)、バナナ二本(お八つ用)、柿ピーナッツ一袋(休憩時のお茶の友)、コーヒー二本、スポーツドリンク二本、それと台本を入れて、キャラバンシューズで。そう、稽古にしてはかなりの重装備。朝八時頃に出発。台本を言いながらゆっくりと歩く。口馴らし。途中のベンチで休みながら約四十分で到着。台詞が途中までなので、そのまま園の外周を歩きながら続ける。終った所でベンチに腰をおろして休憩。休憩後「起てハムレット」の口馴らし。園内を上り下りしながらゆっくりと。前方に人間を発見すると声を落とす。後方からの人間にはその余裕がない。ちょっとドキドキする。「起てハムレット」の口馴らしが終ると又休憩。今度はコーヒーを飲み、柿ピーナッツを摘まんでゆっくりと。今日も沢山の鳥を写す人達が、高価なカメラを抱えて行ったり来たりしている。休憩後「愛寿亜」の本格的稽古。口馴らしの時に頭に入れた、あまり人が居なかった場所へ行き、あたりを見廻し、人が居ない事を確かめて、稽古開始。周囲に気を使いつつ、稽古に集中。突然、人の気配。途端に稽古を止める。挨拶しながら相手の気配を探る。「よかった、相手は気が付かなかったらしい」そして周囲を確認してから稽古再開。それを何回か繰り返しながら稽古終了。疲れた。腹減った。昼食。パクパク、グビグビ、食べて飲む。ベンチに寝ころんで昼寝。それが終ると、今度は歩きながら。さっきの稽古を思い出しながらの稽古。「こう演った方がいいんじゃないか。こう言った方がいいのかしら」何回も何回も同じ所を行ったり来たり。気が付くとかなりの時間が経っている。休憩。バナナの何とおいしい事。ゆっくりとコーヒーを飲み、柿ピーナッツを摘まみ、小鳥の鳴き声に耳を澄まし、風の(そよ)ぎに身を任せて、かなり贅沢な時間を過す。そして、その日最後の稽古。これがかなりやばい。この時が稽古に集中の余り、他人が来た事に気付かない事が間々ある。その人は、私の顔も見ずに、大急ぎで去って行く。きっと変な奴だと思った事だろう。「やっちゃった」でも、もう遅い。そんなこんなで稽古終了。疲れた足を引き摺りながら帰宅。午後四時。シャワーを浴び、ごろりと横に。眠い、疲れた。夕食、入浴。おやすみなさい。

二日目。全て昨日と同じ。が、稽古だけはまったく別物。第一日目の稽古は安全運転、可もなし不可もなし。だから面白くない。在り来り。それをどこかに感じているので第二日目は途轍も無い事をやり始める。それが良いのか、悪いのか。今の所は分からない。でも面白い。そう、創るという事は、そうした無駄、廻り道を沢山試す事によって、これだ!という何かを見付け創り出す試みなのだ。繰り返す事、そして試みる事。それを何度も何度も、飽きる事なく続ける事が、稽古であり、物を創る事なのだ。さあ、今日も稽古。大いに楽しもう。