耕して、耕して、耕し続けて

ここ何ヶ月か、演劇と直接関係のない本を又読み始めた。そういう余裕が、ゆとりが、隙間が、私の中に出来たのだろう。「夏目漱石」「河上肇」「日本書記」「世阿弥」「道元」「法然」そして今は「親鸞」を読んでいる。どれも、これも、今までに何回も何度も読み直した本。私が私である事に、それぞれの仕方で多大な影響を与えた本である。「ふーん、成程」「うん、面白い」「うん、そうだ、そうだ、その通りだ」「えっ、そうかな」今回も様々な反応が私の中に生まれる。勿論、私は演劇を生業としている人間、だからどれもこれも当然そういう読み方をするし、又そのような読み方しか出来ぬ。

面白いと思ったのは、以前は「法然」「親鸞」に引かれていた私が、今は「道元」に引かれている事。両方共に私に影響を与えたからこそ、今まで何度も読み直し、手元に残しているのだが、でも、こんなにも両者への共感が以前と違うとは。そう、今の私は「人間、ジタバタして、自分の面白いと思った事、興味を持った事、やりたいと思った事を、自分流に、自分の責任でもって創り続ける。それが私の人生。様々な人達、意見から、様々な影響は確かに受ける。でも最後は自分。私がやりたい事、面白いと思った事、興味をもった事を、自分流に創る。創って、創って、創り続ける」

土台を耕す大切さ。演劇に直接関係なく見えるが、「何故生きるか」それこそが人間の、人生の土台。その土台の上に演劇は成り立つ。土台を耕す事の大切さ、面白さを改めて感じる。

これも、ゆとりの余裕の成せる業か。