おやすみなさい、おはようございます

十二月十四日、今年最後の「研究室」(ワークショップ)があった。当初参加予定者は七名であったが、当日間際になって体調不良、急用が勃発し参加者は三名に。始まる直前にその事が分かったので、急遽予定を変更。「ぐず」を一日かけて取り組む事にする。

まずは「素読」文章をゆっくり、はっきりと分かるように読む。

次に「ピース分け」

戯曲を始めから終わりまで、話の発展、進行に従って「ピース」に分け、一つ一つの「ピース」の意味を確認していく。そして、チェーホフという作家の特長、及びその時代を簡単に説明。(チェーホフの特長、日常の中のドラマ。淡々とした《そう見える》私達の日常生活の中に潜むドラマ)そして二組に分け(一組には高塩が参加)自主稽古を一時間半。各組共、どう舞台を作るか、どういう作品にしていくかを、話し合い、行動し、又話し合い、行動し、少しずつ形が作られていく。

形が見えて来た後半「そんなに芝居っぽくなく、もっと、普通の日常会話で」とか、二人の登場人物の位置をどうするかで、作品の意味の伝わり方が具体的になるのか、あるいはぼんやりしてしまうのかが決まる等々、少しずつアドバイスを加えていく。そして昼食前の稽古の締めとして通してみる。それに対してのアドバイス。

そして昼食。

午後は私の演出で、それぞれの組が創ったものを作品に。

「各人が自主的に創り上げるエチュード」と「演出家が参加して観客の為に創る演劇」との違い、そして「エチュード」「演出家」のそれぞれの役割を説明。自主的に創る「エチュード」の大切さを伝える。

演劇は作り物です。つまりエチュードで創り上げた真実(本当)を観客に作品として伝える為には、空間と時間の芸術である演劇は、又、その日、その時、その場所で、始めてお互いに対面し、共同作業で一つの作品を創り上げる為には、その真実(本当)に、ある作為(嘘)、作り事を、効果的に使う事が必要です。そうする事によって当日初めて参加した観客にも創造に参加する為の目じるしが与えられるのです。それが舞台芸術である。「エチュード」(真実)と「演出」(作為、作り事、嘘)をどう上手く交ぜて、観客を積極的に、自主的に、又素直に、楽しく参加させられるか。

「今日、講座に参加出来て、得した!」という、参加者達の声。参加者が少なかったからこそ、こんな贅沢が出来る。でも、これでいいのか、これで続けられるのか・・・(苦笑)

そして、同じ台本を使っての、まったく異なる二つの作品が目の前に!

「先生、ダブルキャストの時はどうするんですか」

「当り前だが、役者が変われば舞台は変わったものになります。だってどちらかの演じ方に合わせろという事は、どちらか一方の創造、個性、自主性を捨てろという事でしょう。私の(大多和の)創造方法の中にはそういった考えはありません」

そして休憩後の再度の通し。一組は直前の演じ方を再現しようと後追い。演じながら戸惑う二人。

「分かったでしょう。創ったものを再現(後追い)するのでなく、一回一回、その時、その時、自信を持って創り続ける為には、自分の創ったものが、本当に自分のものになる為の、何十回、何百回もの稽古が必要なのです。でも、アマチュアで芝居創りを続けていくあなた方に、それが可能なのか、どうしたら、それがやれるのか・・・。難しい問題だが、各人が、各劇団が、それぞれ考え、試行錯誤しつつ、それを具体化していかなければなりません。でなければ、『舞台で立てただけで幸せ!楽しい!』の状況のままで、その先はありませんものね。無理、難しいかも知れないが、創る事の楽しさ、難かしさ、奥深さを味わってもらいたいのです。でも・・・」

そして、もう一組は以前の発表の上に、幾つもの新しい工夫を付け加えての熱意溢れる舞台を。が、あれもこれもで騒々しくなる。

「そうです。稽古は、特に始め頃の稽古には、前回の「なぞり」でなく、毎回毎回新しい試みを加える事が大切です。しかし、公演を向かえた稽古後半は、どうしても必要なものだけを残して、あとは捨てていく事が必要なんです。自分の創ったものを捨てるのは難しい事だが、観客にあまりにも沢山のものを押し付けては、観客は整理できずに、戸惑ったまま、共同作業に参加しなければなりません。それは損です!いいですね、稽古のいつまでは足し算を中心に、そしていつからは引き算を目標に、これが出来なければなりません。その見極め、判断が大切なのです」

そして残り一時間で「かき」と「ワーニカ」の一人語りの稽古。

「ああ、今日は面白かった」「得した!」

同感!私もそうでした。

でも・・・そうです。「研究室」を一年続けた結果、色々な事が見えて来ました。「研究室」を続ける意味は。又、「くすのき」にとっての意味は・・・。もしかして、この「研究室」は大多和個人の我儘、趣味なのかも・・・そう、そうかも・・・。

いつか、この問題の答を出す時が、出さなければならない時が来るでしょう。それはいつ、そしてどのような答が・・・。

今年も色々な事がありました。年度始めと、年末の今の状態・・・えっ、こうなるの・・・。そう、これが人生。明日は明日の風が吹く。その中で、自分自身、一生懸命、精一杯、笑ったり、泣いたり、悔んだり、自信持ったりして生きていく、生き続ける、来年も一日一日を力一杯生きます。

追伸

久し振りで、飲み物、食事、台本を沢山持って小宮公園へ。早朝から、日が陰る直前までの初冬の公園の中の私。私にとって一番素直になれて、自然体で居られる空間と時間。私って、そういう人間なんだとつくづく感じました。