私の夏休み

七月二十五日の「むかしあったとさ」公演後の約一ヶ月間、図書館からDVDを借りて鑑賞する事を中心とした生活を送った。これが今年の私の「夏休み」。「歌舞伎」「能」「狂言」「落語」「浪曲」「映画」「白石加代子(百物語)」。百作品以上を鑑賞したと思う。

(よくも、まあ見たものだ)

見て、見て、見続けるうちに、あるものが見えて来た。自然に。ゆったりと。

名人、上手、魅力的な表現者は、素の自分、演じる自分、役に成り切る自分の間を、いとも簡単に、瞬時に、行ったり来たりしているという事実。それも客の目の前で。当り前のように。

つまり、それらの人達は表現者としての素の自分も、表現技術も、役に成り切る感性も、客の目の前で、まるで当り前のように瞬時に行ったり来たり出来るように、十分に鍛えているという事。

そう、魅力的表現者である為には、素質も、稽古も、私達凡人からみたら、想像も出来ないような稽古人生を生きているのかも。当然の事として、そうした領域に、一歩でも、半歩でも近付く為には我々凡人は、あきらめずに、あせらずに、一日一日を、より良き表現を目指して努力する外はない。そう、それが嫌なら演劇を表現者としての人生を辞めればよい。

明日からは十一月公演「起てハムレット」を中心とした、いつもの日常に。

今年は例年にはない「夏休み」を送った。