稽古の合い間に、小学館「昭和文学全集」を読み始めた。

三十六冊も有るのでいつ読み終わるやら。

何でこれを読み始めたのか。ぼんやりしている頭にこんな考えが浮んで来た。「俺って、一体、今までに何人位の作家の作品を読んでいるんだろう」

そう、誰でも好きな作家、思想家を持っている。そしてそれは年代と共に変ってくる。(勿論変わらない作家、思想家も有る)とすると名前だけは知っていても、その作家の作品を一編も読んでいない作家って、どの位、居るのだろう。そう、どれ位。

そんなボンヤリとした事が切っ掛けで、読み始めた。

まず、今まで読んだ作品は飛ばす。初めての作家の作品をまずは一つ読んでみる。面白ければ次。そして面白くない作品に出合うと、そこで次の作家に移行する。と、

「へえ、俺ってこんな作品、世界が好きなんだ」

そう大変面白い。自分で気が付かなかった自分を発見する。改めて自分を考えてみる。それが面白い。

人間って、動物と違って、暇が有るから、生きる為の基礎(衣・食・住)の時間を短くして、ボンヤリする時間が出来たから、「我」なんていう事を考え出したのだ。そして生きている間は、この「我」と言う無駄を考え続けるのだ。(死ねば又物質に還元されていくのだが)

「我」を考えたとて、それが何になる。そう、それも一理。

でも、人間は、それが何にもならなくても無駄であっても、「我」を考える。考えざるを得ない。人間が人間で有る限りは、ボンヤリと、あるいはしっかりと、色々と有るが、とにかく「我」を考える。それが人間なのだ。色々な無駄を考え、生きる事、それが人間なのだ。

とか何とか色々理屈を付けるが、要は、面白い、そう、それを考え、追求する事が面白いのだ。

人間て、変な生き物だ。無駄を面白がる生き者なのだ。