社会教育の場での演劇

「意欲もあり、行動力も有るが、どうも学校に馴染めない子供が沢山居るんですよ。

この子供達に場を与えて自信を付けさせてやりたいんですが、やってみませんか」

「うん、何だか面白そうですね。どうなるか分かりませんがやってみますか」

そして集まった子供達との顔合わせ。

「うん、すごい・・・」

地元の昔ばなしを題材に台本を書き、稽古が始まった。皆初めての事。段々と動き始める。春休みの最後に発表との事で、期間は四ヶ月、週一回の稽古。途中二回の泊り込みの合宿を入れてもらう。稽古だけでなく、大道具、小道具、衣裳、その他やらなければならない事が山盛り。全て子供達には初めて。シンプルに、こっちでやれる専門的事(照明、効果等々)はこっちでやる。

結果は大成功!

そう、やる時は成功させる。その成功が次への行動力となる。

翌年は「ガンバ」を。私が台本を書き、演出もして、全て前年通り。


 次の年。ここからが面白い。

「先生さ、出来たら、台本も、演出も、自分達でやってみたい」

「えっ!・・・うん、やってみるか」

自分達で気に入った話を自分達で、でも、気持ちだけではどうにもならない。話をグループ数に分割して、各グループそこだけの台本を作る。長くて五分、一分以内のグループもある。それを一つの台本に私がまとめる。そして稽古。中学生集団が演出も担当。

「こういう感じでさあ・・・」それぞれ想いは有るが、小学生にはなかなか伝わらない。

稽古が終わり、小学生が帰った後で、中学生と私との稽古。

何故あなた達の想いが伝わらなかったのか、空間を(舞台を)どう使えばその想いが形になるのか、スピード、間(時間)をどう使うのか。

「いい、次の稽古の時、今日やった事を、ちゃんと小学生と作るんだよ」

中学生を育て、彼等のプライドを守る為には、通常の稽古の何倍もの時間がかかる。自分達で作っているというプライドがあるので、面白い試み、アイデアが次々と出てくる。

大道具、小道具。衣裳の制作にも気合が入る。

そして本番。大成功!その喜びの凄まじい事。

次の年からはダンスも入る。歌も入る。もう、やりたい事のオンパレード!

当り前の事だが、それぞれが大きくなって高校生、社会人となり、演出、裏方部門が充実。

「次は僕も、俺も、あたしも出たい!」と小学生の出演者もどんどん増加。

が、好事魔多し。段々とマンネリになってくる。

やりたい事、創りたい事は沢山あるんだがどうやったら、それが舞台になるのか。

初めは自分達の想い、意欲、喜びを「生」でぶっつけた。それが、ある形(舞台)になった。

もっと、もっと、自分たちをぶっつけたい、形にしたい。意欲、想いはあるが、それをどうすれば舞台、形になるか。

・・・そう、これから後は別の段階。社会教育としての「演劇」はここまで。あなた達は自分達の想い、意欲、夢を舞台にするという行動を始め、それを実現させた。自信を持てたろう。喜び、悲しみ、悔しさ、辛さ、我慢も味わったろう。それが大切。それが宝。「生」の面白さ、魅力も大切。だが、それだけでは・・・

後は、そう、何でも、全て、仕事には、創造には技術という土台が必要。それは一朝一夕で自分のものになるなんて、そんな生易しいものではない。コツコツと、飽きる事なく、積み重ねていくもの。辛い、困難な、でも途轍もなく面白いもの。その門前にあなた達は立てたのだ。それは素晴らしい事。でも、でも、この先は別の道・・・。

 そう、教えるとは、教わる事。十年以上にも渡る取り組みがあったので、こうした事も自分のものとする事が出来た。

 ありがとう。みんな元気か・・・。