あの頃の想い、今も・・・

そう、あれは、たぶん四十年ぐらい前か。社会教育関係から講師依頼が来始めた時分。そこは宿泊が可能で、しかも係の方も大変柔軟性に富んだ職員。何か面白い講座をという事で「百時間で何が創れるか」という講座を提案。年四回、一回二十五時間。それで一つの作品を創り上げる。初めて出合った受講者達が一回二十五時間、それを四回積み重ねて一つの作品を創り上げるという講座。

「うーん面白いですね。やってみましょうか」という事で実現。

舞台表現を創り上げる上で必要なものは沢山有る。一つ、時間。我々は常日頃ともすると時間を使うのでなく時間に使われている。追い掛けられている。だから一回二十五時間を、あるものを創る為に自分達の裁量で使い切る。夕食、朝食、昼食は社会教育施設なので時間は決められている。風呂も何時から何時まで利用可能と枠が決められている。担当職員の計らいで、後は自由という事になる。さあ、初対面同志の参加者、どうする、どうする。一つ一つの回で何をどこまで創る。「えっ、そこまで自分達でやるの・・・」

ここに一つの提示された課題が有る。その課題をグループそれぞれ各人がどう読んだのか、どう理解し、面白がり、それをどう創りたいのか。まずはそれから。話し合いが始まる。自分の意見を言う。他人の意見を聞く。それが創る事の共同作業の土台。で、言って、聞いて、次にどうする。それを形にしていく為には・・・。与えられた時間は限られている。(これは通常の公演時も同じ)

試行錯誤を重ねながら怖ず怖ずと動き出す。役を決め、演出を決め、舞台の図面を取り敢えず決めて。しかし、頭で描いたイメージを自分達の身体と声で創り上げる事は、そんなに容易い事ではない。(それが分かっただけでも十分な価値がある)焦る。苛立つ。ボーッとしてくる。疲れる。そう、人間は休みが必要。さあ、どうする。時間は刻々と過ぎて行く。寝るか、そのまま続けるか。そうなって来ると、それぞれの本性が出てくる。

人間自己主張も必要。他人の意見を理解する能力も必要。妥協も必要。譲り合いも必要。調整能力も必要。つまりそうした演劇を創り上げる為の全ての能力を要求される。

そして次の日の朝食時。色々な顔が、グループの姿が食堂に集う。徹夜で頑張ったグループ。上手に睡眠時間を確保したグループ。・・・それぞれが食べて又創造に励むグループも有れば、疲れ果てて何も出来ずに唯ボンヤリとしているグループ、イライラと、延々と、話し合っているグループ。そして昼前に自分達で創った事の発表。講師の駄目出し。そして又各グループに別れての活動。

昼食。そしてその回最後の発表。

発表が出来たグループ。意見がまとまらずに「今回は話し合いだけで終わりました」とその事を告げるグループ・・・。

「うん、上手くいった。やってよかった」

そう、創るという事は、そうした事全てを克服して、一つの具体的作品を創り上げる事。それは演劇だけでなく他の全ての仕事でも同じ事。

社会教育の中での演劇の活用法の一つ。素敵な職員との素敵な試みの一つ。

あの頃は、あんな試みをやれる、体力、気力、そして自由があったのだ。

そして今は・・・。そう今は、今の条件の中で(己の、社会の)一つの具体的な作品を創る事。己の、社会の具体的条件の下で・・・コツコツと、具体的に、楽しんで・・・