「語り芝居」と私

私がそもそも「語り芝居」を思い付いたのは「くすのき」結成時、何も無かったからである。金も無い、スタッフも居ない、キャストは三人。

さて、自分の舞台を創る為には、この条件下でどうするか。

その時に自分の中で点滅し始めたのが「宮沢賢治」

そうだ、「宮沢賢治」の「言葉」の魅力を「語り」で伝えよう。うん、「語り」でならば「言葉」の魅力、「宮沢賢治」の魅力を舞台化出来るかも知れない。

が、これは頭の中での計算。今もそうであろうが、その当時の私達にとって、スタッフとキャストを同時に兼ねるのは、しかも観客の観ている眼の前で、それを兼ねるのは、とてもじゃないが至難の業。

でも、大道芸の始まりは、それを当然の事としてやる。そして、その始まりから色々な役割が分化していき、豊かに華やかになっていく。

「よし、これで行こう。これ以外の選択は無い」

それから三十五年。「宮沢賢治」から始まった私達の「語り芝居」も「説経節」「シェイクスピア」「ギリシャ悲劇」「夏目漱石」「幸田露伴」と、その世界を広げていきました。

そして「マクベス一代記」を終えた今、「そうだ、私の、私達の「原点」である「宮沢賢治」の「語り芝居」にもう一度、戻ってみよう。「語り芝居」が私にとって、私達にとって何だったのかを、じっくりと考えてみよう」

行動は、点検は、突然やってくる。でも、その突然には何か必然性があるに違いない。それが何なのか、今のところ分からないが、しかし、その突然に付き合ってみよう。

きっと私の演劇人生が何だったのか。その何分の一かが分かるかも知れないから。