「標準語」って何だろう

先日、四国ラボチューターの研修会に講師として呼ばれました。

「フレデリック」「だるまちゃんと雷」「はだかの王様」を題材にしての表現活動です。どなたも意欲十分、楽しい研修会でした。その研修会で「はだかの王様」を「方言」つまり普段自分達が用いている、「関西弁」(この「関西弁」なるものも、多々、済々なのだそうですが、アバウトに考えてもらって「関西弁」として)と「土佐弁」でやってもらいました。つまり「はだかの王様」の喜劇性を感じてもらう為には、導入部としてそれが面白いだろうと考えたからです。

結果は、「大成功」!

その面白い事!弾け方の凄まじき事!乗りの深くて軽き事!「はだかの王様」の喜劇性を身体全体で表現してくれました。が、その後で「標準語」で表現してみると先程の「方言」で表現した事の何分の一しか喜劇性は表現されません。はて、はて、はて・・・。

チューター達は言いました。「標準語」でやるよりは「英語」でやる方がいいよね。だって「英語」でやった方が乗れるし、リズムがあるし、感情が入れやすいもの・・・

「標準語」って難しいよね・・・。

「標準語」しか知らない、しゃべれない私。そして「標準語」で表現活動をしている私。でも、チューター達の表現活動に「講師」として参加した私にも、何かチューター達の気持が分かるような気持にもなりました。

「言文一致」としての「標準語」。「全国統一語」としての「標準語」。

その力は認めるとしても、「標準語」が本当に魅力ある、豊かな、力強い、「標準語」になる為には・・・。

「言葉」を生業(なりわい)としている私にとって、色々と勉強になった研修会でした。