「流れ流れて」

さ来年は「くすのき」創立四十周年。思えば遠くへ来たものだ。で、筑摩書房「新修宮沢賢治全集」を読み直し始めた。

「くすのき」発足は「宮沢賢治、語り芝居」と動き出した。

 何故「宮沢賢治」だったのか。そして、それが、どう変ったのか。あるいは変わってないのか。色々な要素があってそうなったのであろうが、再度点検してみるのも面白い。

 人間は年々再々変わっていきます。世の中もそうです。十年一昔というように。

 ならば、今、私にとって「くすのき」にとって「宮沢賢治」はどういう意味を持っているのか。自分の人生にとっても、「くすのき」の四十年にとっても、きちんと今現在の評価を出す必要はある。私は、今でも「宮沢賢治」が好きです。しかし、その「好き」も昔と同じ「好き」なのか、それとも違っているのか・・・。

 まあ、この機会に、それをじっくりと確かめてみよう。

 ゆっくりと、味わいながら・・・。