出窓 一覧
これから甲府です。合宿のような3日間、あゆち芸術祭も終わり日常に戻りつつあります。特急かいじに乗っている間にリセットしないといけません。今日の授業は妄想自己紹介。
今朝、外からウグイスの声が。はて、ウグイスはもうお山に帰っている頃では?鳴いている方向を見ると1羽の鳥が電線の上にいました。「いやいや、ウグイスはあんな大きくないでしょ」でも確かにウグイスの声。
それもだんだん「私ってステキじゃない?」というアピール度増しまし。「ガビチョウだ!」確信した途端、飛び立っていきました。
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帰りに熱田神宮に寄りました。雨の中、大楠にあいさつに行きました。
これから甲府の大学です。学生さんともだんだん親しくなってきたので、今日のウォーミングアップのゲームは学生さん達に考えてもらおう。
5/24-26まで、愛知県名古屋市道徳ハウスで行われる「第一回 あゆち芸術祭」。売り止めでしたが、
制作から増席したとの連絡が入りました。東京のお客様、まだ間に合います。高塩の回は残4席ございます。
大多和の宮沢賢治語り芝居は東京で上演しましたが、高塩の宮沢賢治語り芝居は「名古屋で」上演致します。
三世ちゃん情報。
あれから鼻の出血は止まり、今朝、行きつけの地元の耳鼻科に行きました。
鼻血の原因は加齢と乾燥による血管の破れ。夜は濡れマスクをして寝るように言われたそうです。とりあえずは一段落。
そんな時に、栃木県の、小学生の時からの友人から手作りのお菓子が届きました。今回は那須の卵を使用したプリン。さっそく1個いただきましたが、もう、もう、もう大満足です。
昨日の地獄、今日の天国。
さあ、明日はどうなる。
出ました三世ちゃん病気!子どもはお母さんが出かけようとするとケガをしたり病気になったり、うちの母もそうなんじゃないか!?くらいピンポイントで襲ってきます。
今朝、起きて下に行ったら、もう母パニック!
「朝、起きたら鼻血が出ていた。枕が血でまっ赤!口の中まで血が入っていた」
「ああ、また出た。止まらない!」
親戚やご近居の人にまで電話している。電話するんだったら止血でしょ!
私「はい、じゃ、救急病院に電話して。耳鼻科の先生がいなかったら救急行ってもダメだからね」
母が電話したら、東京消防庁救急相談センターの三多摩地区の電話番号を教えてくれました。
私はその間に朝食を取りました。その間、10分。その間にも母のしゃべくりは止まらない。
救急の三多摩に電話しました。話し中でなかなかつながりません。
やっとつながって、電話をスピーカーホンにしてその場で応急処置を教えて下さいました。
看護師さんが1つ1つ確認しながら教えてくれます。止血方法、ばっちり!さらに休日診療の近くの病院3軒の情報も教えて下さいました。「もし急変したらその時は救急車呼んで下さいね」もう至れり尽くせり。
ありがたかった。助かりました。母は「止まった止まった」と喜んでいる。
母「じゃ、トイレに行ってくる」とベッドから立ち上がろうとする。
私「急に立たないで、ベッドの手すりにつかまってから、ゆっくり立つ。立ったらその場で10数える。ベッドのふちに手を置きながら移動。大丈夫だったら壁をさわりながらトイレに行って」
母はきちんと朝食取れました。薬も飲めました。その間もずーっとしゃべっている。「カラオケ休むから○○さんに電話して」「休日やっている病院に電話して」「枕が血でまっかになった」「止血はああやってやればいいんだ」等々、さらに不安内容の吐き出しをエンドレス。これを、ごはんを食べながらしゃべる。ある意味すごい!
結局、午後からのカラオケは休み、休日診療の病院は今日は予約だけなので。と断られ、とりあえず午前中は様子見。午後の状態をみて、夕方までやっている休日診療の病院に電話するか、急変の場合は救急車。
昨年のクリスマスイブ。もう何度もブログに書きましたが、高塩、初めての朗読指導に岐阜県岐阜市に行っておりました。岐阜市の朝は大雪。指導の人を待つ間の昼食中に、おい1から連絡。「おばあちゃんが五本指の靴下をはこうとしてギックリ腰になった」その後、ギックリ腰からの圧迫骨折。完治まで1年かかりました。
さあ、「第一回 あゆち芸術祭」高塩の公演まで1週間となった今朝、この状態です。
「わざとじゃないか!?」と勘繰りたくなるほど。これで終るか。さらに修羅場になっていくのか。
高塩家日記介護編にならないことを切に祈ります。
明日で「第一回 あゆち芸術祭」高塩の公演の1週間前となります。久し振りの「宮沢賢治語り芝居」作品は「祭の晩」「ざしき童子のはなし」です。特に一番初めに創った「祭の晩」はもう36年もレパートリー作品になっています。36年経った「祭の晩」どう変化しているのでしょうか。