「好きな事をしていると、時は、あっという間に過ぎていく」
随分長ったらしい題名だ。でも、今の私の毎日にピッタリの題名である。
十一月のある日、早朝(三時頃であろう)布団の中で目を覚ますと、ハッとこの事が浮んで来た。そうだ「四十八癖」の後、何を上演しよう。まず浮んだのが「走れメロス」
これは、今秋、多摩市の劇団の朗読公演に行って「走れメロス」その他を聞いて「ああ、朗読だとこうなるんだ。いいなあ」との感想がそのまま残っていて、それがスーッと浮んで来たのであろう。しばらくして、今度は「ロミオとジュリエット」が飛び出した。
青春!全てをただ一つ、一回の愛に托す。そのエネルギーの潔さ、美しさ、強さ。その二つと頭の中で遊んでいると、今度は「オセロー」の中のイアーゴーが浮んで来た。
そう、その悪党の魅力。やってみたかった役である。題名は「獅子身中の虫、イアーゴー」と仮題まで付ける。そうこう遊んでいるうちに五時。いつもの公園でトレーニングをする時間。起きて公園へ。
そして、いつもの日常が動き出す。
しばらくして「四十八癖」の稽古をしながら、その三作品の台本創りをいつの間にか。苦しくて、辛くて、難しいが面白い。
上演できるのか。(分からない。まだ第一稿も出来ないし、それに長そうだ。そんな体力、気力が今のお前にあるのか。うーん、分からない。)
でも、やりたい。
そう、後は、ケセラセラ(成るようにしか成らない。)
老人の暇潰し。他人に迷惑はかけないし、ねえ、いいんじゃない・・・。
かくして、今日も、カサカサ、サラサラ、「うーん・・・うーん・・・」の楽しい毎日が続く。・・・よーし、楽しもう、八十代を。
「人間の夢と現実と」
人は生まれてから死に至る時まで誰でも成りたいものがある。成りたいものを持っている。(そうでない人も居るかも知れないが・・・)
私は小さい時小学校低学年まではマラソン選手になりたかった。オリンピックでザトベックという選手が大活躍で、それを見て、自分もそう成りたいと思って、しばらくは走ってばかりいた。
次に成りたかったのは「教師」。
大変憧れた。高校時代までそれは続いた。
それがどうしてどうなったのか、いつの間にか教師ではなく演劇に憧れていた。(これも色々とそうなった訳があったのだろうが、今はその訳もはっきりとは分からなくなってしまった。)
演劇分野の中でも初めは演じる事、つまり俳優に成りたかったのだが、演劇にのめり込むうちに、演出、台本にも興味を覚え、それをも勉強し始めた。そして今(老年に成った今)、俳優も、演出も、台本も、全てやりたい。やってみたい。でもやりたいと云っても若い時のように、パッパッとは出来ない。身体が、エネルギーが追い付かない。全てスロースロー。自分でもイライラする程全てがスロー。
焦っても仕方ない。これが現実。この現実の中で、さて、それをやろうとすると、自分のペースを考えて、しかも他人に迷惑をかけずに、それらをしようとすると「一人語り」となる。
そう、これなら他人に迷惑をかけずに、自分のペースでやれる。そう、これが私の今。
だから結果として、「一人語り」をやっている。そして、これからも、それをやり続けるであろう。
創る事に意欲を持てるうちは、それが面白いうちは・・・。
生きるって面白いと同時に、しんどくもあるものだ。
「基礎から始めて基礎に至る」
来年公演予定(あくまで予定)の式亭三馬作「四十八癖」の江戸弁の勉強にと、図書館から落語のCD、DVDを片っ端から(多分五十枚以上。これは私の凝り性をよく表わしていて、やるとなると徹底的にやる)借りて来て、聞き、観始めた。江戸弁の参考にも多少はなったが、それはもっと大切なもの、根本的なものを学ばせてくれた。それは、「語り」「一人語り」の基礎大元についてである。
CD、DVDを通して多くの演者を【観、聞いて】、「上手いなあ」「凄いなあ」と圧倒される。名人、上手の作品は、間、口跡、口調が何とも言えず素晴らしくて、その上に全ての言葉、文章がはっきりとこちら(観客)に伝わってくるのである。そして、こちら(観客)が、考え、感じ、それを消化する間をきちんと作ってくれるのである。
これは当り前、当然のことである。ライブでは当り前すぎて「お前、今頃そんな事に感心して何を寝惚けてるんだよ。」と笑われるであろう。でも、「その当然、当り前の事を、あなたは本当に実践なさっていらっしゃるんですね。」と念を押されると「そりゃ、お前、その何だよ・・・」と腰砕けになってしまう。
そう、全ての本質は単純なもの。その単純な本質を忘れずにじっくりと、どこまでもどこまでも創り続ける事の土台にする、し続ける事の何と難しい事か。
只管打坐(しかんたざ)。基礎から始めて基礎に至る。
これをやり始めてから終りまで何段積み上る事が出来るか・・・。
創る事の創り続ける事の単純で、何と奥深き事よ。
ああ!・・・
「酷暑は去った。さあ・・・」
六月から延々と続いた酷暑が、突然去っていった。
「えーッ!」
身体が、心が付いていかない。何だかボーッとして締りがない。
「まあ、焦らずにいくさ」
少しずつではあるが、前の方へと進んでいく。(と思うが・・・)
「四十八癖」覚える処から創る処へと前進(と思うが・・・)途端に「えーッ」とくる。
そう、最初から終りまで、台本を見ないでスラスラ云える。が、創り出すとセリフが出てこない。(全部がそうではないが)
そう、創る為にはセリフ全部が、しっかりと自分自身のものにならなければ創れないのだ。他人のものであった台本を、全て自分のものにする。それが創ると云う事。
焦らず、急がず、ゆったりと、楽しんで。
時間は十分に有る。(と思う・・・)
「便利は危険さをもはらんで・・・」
動物として進化(?)して来た人間は、動物の本能に従っての生活、一生から少しずつ離れていって、本能と同時に欲望の囁(ささや)きに唆(そそのか)されて人生を歩むようになった。
動物は本能に従って生きるから、本能が充たされれば、餌が目の前に居ようと知らん顔。
「あれを取って溜めておこう。あれを元手にして、もっと餌を増やそう」などとは思わない。
しかし人間は貨幣(お金)というものを作り出した。これは大変に便利な物である。数であるから腐りもしないし、破れもしない。いつまでも保存が出来る。つまり溜める事が出来るのである。と同時に大変危険な物である。それはなぜか。数であるから際限がない。数であるから交換するに便利である。持ち運びに、溜めるに都合がよい。が、それと同時に数であるからここまでという際限がない。持っても、持っても、もっと、もっと欲しくなる。その結果、いつの間にか人間が貨幣を使うのでなく、貨幣が人間を引き廻しだす。欲の巾には限度というものは無いので人間は欲の増殖の為の召使になり下ってしまった。
その為には戦争もOK。他人が飢えてようが知らん顔。(そうでない人間も沢山居るには居るが)こんなに文明は進歩し(?)、物は溢れているのに、なぜ飢える人、寒さにふるえる人が無くならないのか。住む家も無い人が居るのか。
戦争を(人殺しを)肯定する宗教や、道徳はないのに、なぜ人は戦争を止められないのか。
全て欲の為である。持っても、持っても、もっと自分の物にしたいのである。全てを自分のものにしたいのである。欲には終着点はない。人間は他人が居なくては、自分も生きられない。
他人が有っての自分、自分有っての他人である。なのに何故・・・
「イマジン」世代の私はそう思って生きて来た。人間は個では人間でなくなると。
これからも、たぶん、そう思って生きるだろう。
人間って何なのだ・・・人間の未来は・・・
「四十八癖」やっと覚えました。第一関門は突破。土台は築かれた。さあ、創り始めるぞ!
やれば出来る。やらねば出来ない。
そう、全てがそうだ!
八王子に移ってから、ずっと見ていただいていた医師が八月十五日に突然お亡くなりになった。先月は「う~ん、あなたの病気は頑固ですね。」と云って下さったその医師が・・・。
そう明日の事はわからない。それが人間、それが人生。ならば、だから今日一日をどう生きるか・・・。今日一日をどう生きるか・・・。
「死」の変遷
「死」という事を真剣に考えだしたのは、おそらく中学生ぐらいの時が初めてであったろう。「死」というものが無闇に怖くて、それが分かりたくて「教会」へも行った。手当り次第に「本」も読んでみた。
でも、何も分からなかった。
次に「死」を考えたのは、もうそれから大分後の事。立川市の何かの委員をしていた時(たぶん四十代の頃)、「野辺山天文台」へ視察の序でに寄った時の事。そこの研究員から「星も生滅するんです」と説明を受けた時の事。
「星も生れて、死ぬんだ。ならば人間が生まれて死ぬ事なんて、当り前の事なのだ!」
ショックを受けると同時に、強く納得した。でも納得はしたが、でもそれだけである。
そして今、こう考えている。
「死」とは本源に帰る事なのだ。そこは「空」であり、「有」であって「無」なのだ。「無」であって「有」なのだ。「始まり」であり「終わり」なのだ。「終わり」であって「始まり」なのだ。「生」とは永遠であり一瞬なのだ。一瞬であって永遠なのだ。「死」とは一瞬であって永遠なのだ。永遠であって一瞬なのだ。だから、それは私にとって分からないのが当然なのだ。当然であるからそれを素直に受け入れればよいのだ。つまり「死」とは本源へ帰る事なのだから。
時々、ボーッとしている時、何かに夢中になっていて、疲れて一息入れようと気を弛めた時、そんな「死」の想いが浮んでくる。ゆったりと。
全ての事は人間の成長と共に、時間の経過と共に変化する。「死」についての想いもそうだろう。さて、次はどんな「死」の想いが顔を見せるのだろう・・・。
「四十八癖」五分の三は覚えたようだ。三ヶ月で五分の三・・・。
これが。今の私・・・そう、これが、今の、自分。
この自分を受け入れて・・・(だって他にどうしようがあるのだ・・・受け入れなければ、一歩も先へは進めない・・・)
生きるとは、人生を愛するとは、こういう事の毎日を受け入れて生きる事なのだろう。
どうぞお静かに
連日の猛暑の襲来と老令から来る心身共の疲れ。
「やれ、生きるとは、かくも厳しい事か」と思わず弱音を吐く。
そう、年令から来る疲れが一段とギアを上げたよう。
それでも日常のペースは続けている。「下げればいい」と他人は云うが、そうでもないようだ。無理は続かぬが、心身のトレーニング、チャレンジは大切なもの。要はその案配である。今が次の段階への始まり、だから今までの状態が少しばかり辛く感じられるのである。六十代、七十代、八十代と、その段階を乗り越えて来た。八十三才の今になって、八十代の壁が心身に感じられるようになったのである。昨日までは七十代の続きだったのだ。
「表現活動、舞台を創り続けたい」
これが今の私の第一の欲望、願いである。それを土台にして全ての日常、トレーニング、チャレンジがある。焦らずに、毎日、自分の心身と会話を続けながら、そうした日常を生きよう。
今の自分に出来る事、それを創ろう。生きよう。
生きるとは、しんどくて、楽しくて、根気のいる毎日なのだとつくづく思う。
「四十八癖」半分は覚えた。二ヶ月で半分。これが今の自分である・・・。
そう、これが今の自分・・・。ようし来年春まで、明日も楽しもう、チャレンジしよう。そしてコツコツと創り続けよう。
「待ってくれーッ」
式亭三馬原作「四十八癖」の台本作りが済み、次の段階「暗記」へと進む。
・・・ム、ム、ム、ム、ム・・・
何と、記憶力の心細い現状よ・・・
今年上演した「銀河鉄道の夜」の時も、記憶力の弱くなったのにあたふたしたが、それでも以前三人で上演した実績もあり、何とか乗り切れたが、今度は「あっと驚く為五郎」中々先へ進めずに初っ端の「女房をこわがる亭主の癖」を来る日も来る日もウロ、ウロ、ウロ。読んで十五~六分ぐらいの作品だが何と覚えるのに約一ヶ月かかった。この計算で行くと、全部覚えるのに何ヶ月かかるやら、そして覚えた後に演出をして、動きを考えて・・・となると上演へたどり付くのは・・・。
そう、記憶力の衰えのスピードはこの年になると多摩川の流れの幾倍にも・・・。となると・・・
来年の事を考えると恐ろしくなる。
でも、これが現実。今の私の有りのままの姿。
そうとなると、後は、やるか、止めるか・・・。二つに一つ。
生きるとは今の現実の中の自分とどう向き合い、どう毎日を送るか・・・。
難しくもあるが、やさしくもある。
ようは、その現実を受けとめて、さあ、どう毎日を過すのか・・・。たった一度の人生。
とにかく、今は先へ進もう。
そう、今。
今の先に明日がある。
春眠・・・?
四月は忙しい月になった。
五日(土)国立芸小ホールスタジオで「銀河鉄道の夜」の二ステージ公演。沢山の方達に観ていただきました。ありがとうございました。心の内で一踏ん切りがつきました。
「宮沢賢治さん、本当にありがとうございました。」
七日(月)に歯科で歯石を取ってもらうと虫歯を一本発見。
八日(火)早朝の体操仲間で、都合が合わずに「銀河鉄道の夜」を観られなかった方達の為に、御近所のお宅へうかがって「銀河鉄道の夜」を上演。観客は四人。「私達四人で独占したよう。」と大変喜んでくれました。
十二日(土)~十三日(日)は香川県高松市のラボパーティーの表現活動の講師として参加。十二日は、中・高・大学生。約二十名。本当に素直。「まだこんなに素直な若者が居るんだ!」と大興奮。十三日は幼児、小学生と母親。子供は勿論だが、母親が身体全体を使って二時間楽しんでくれた。その笑顔の素敵な事!幸せな気持で一杯になった。
十四日(月)午前眼科で眼圧検査。「もう二ヶ月今の治療を続けて様子を見ましょう」との事。午後、歯科で虫歯の治療。
十五日(火)から、来年度公演予定の式亭三馬「四十八癖」の台本作り。第一稿は何とか出来たが、テープに吹き込んで聞いてみると課題が山積。
「こんな事では公演なんて、とてもとても」と考え込んでいるうちに疲れが出たのか眠い事おびただしい。いくらウツラウツラしてみても頭はボンヤリ、考えもまとまらず。
はて、これは春だから「春眠」が、それとも自分の条件も考えずに張り切りすぎて疲れが・・・。
とにかく、ここまでは出来た。後は焦らずにゆっくりと「急いては事を仕損ずる」・・・さて、ゴロリと横になるか・・・。
八田元夫先生
「マーチ・ウインド」の「夜の来訪者」公演も無事終了。この公演に「本読み稽古」から「舞台稽古」直前の稽古まで五回アドバイザーとして関わらせていただき、久し振りで気持よい仕事が出来ました。
ものを創るのは当事者の演出家と役者、アドバイザーはあくまでも脇役。
今回はその当り前の事が美事適中。一回一回の稽古が前回のアドバイスを美事自分達のものにしての稽古。本当に楽しい稽古でアドバイザーの私も毎回が楽しみの連続。今から五十年以前の舞台芸術学院在学当時、八田元夫先生に言われた事。
「市民劇団と関わりを持ちなさい。プロはしっかりした鑑賞眼を持った観客を持たなければ上手くなれません。プロとして成長したいなら、そうした観客を育てる手助けをするのも大切な仕事です」
微力ながら、その教えを守って来ました。しかし、それが気持の良いものとなるのは、そうそうありません。今回の事例は私に勇気を、力を与えてくれました。ありがたい事です。八田元夫先生、これからも先生の教えを守り続けます。