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猫の呟き 一覧

猫の呟き

猫の呟き(伝えたき事)

その日、その時、その事に追われて、慌ただしく過ぎ去っていく人生。

それは何だったんだろうと、過去を考える時を得た今、ふっとその日、その時、その事が心を過る。

九州のある親子劇場での「子どもの創作舞台」というプロジェクト。

「子供達に芝居の面白さを味わってもらいたい、体験させたい」との頼みに応じ現地へ。

行ってびっくり。先方の準備はゼロ。(参加希望の子供達は集っていた)本番まで四日。たったの四日間、さてどうする。

「うーん・・・よし、やってみるか」

第一日。本読み。大まかな動きの確認。「ようし今日は終り。あとは時間まで皆で遊ぼう」

第二日。台本を持ちながら稽古。次の日までにセリフを覚えてくる約束をして稽古終了。

「さあ皆で遊ぼう」(えっ、もう稽古やらないんですか。という母親達の反応を横目に子供達の楽しそうな、生々とした笑い声。

第三日。台本を持たないで稽古。全員セリフを覚えて来た。(そうです子供達はプライドを持っている。こっちが彼等を信用すると、その約束はちゃんと守る。守らなければ叔父さん(私)との信義に悖る。九州だけに「人生劇場」の世界)

第四日。舞台稽古。本番。大成功!

何故成功したか。

そう目的がはっきりしていたからです。この条件の中で、その目的を達成する為にはどうすればよいのか。その具体案を、その条件の中で、一つ一つ実行したからです。

そうなのです。子供達は演劇を目的に来ているのではないのです。楽しみたい。お友達を作りたい。自分を発散させたい。何か、いつもとは違った、変った事面白そうな事をやってみたい。演劇はその道具、切っ掛けでしかないのです。

だから、私はその子供達の目的を夢を叶えてやっただけ。その結果が本番の大成功となったのです。

全力で何かをやる事は楽しい。やれないと思っていた事が出来ると面白い。友達と自由に遊べるのは楽しい。チャレンジって面白い。でも、一番感動したのは、その子供達に接した親達。

「うちらの子供達にも、こんなすごい事が出来るんだ!・・・うーん、よし・・・」

その「うーん、よし」が十年も続きました。そしてとうとう台本も、演出も、振付も、舞台装置、小道具、衣裳、メークアップも気が付けばすべて母親、父親達が担当。

が、ここまで。このプロジェクトはこれで終了。この先、その上を目指すなら・・・そう本当の創造の面白さ、難しさ、達成感はこの先にある。が、それを目指すには、もっと別の基準が。そうです、物を創るには、沢山の稽古、努力、時間、金、才能、etc、が今の、何倍も、何十倍も必要なのです。

そうした、あらゆる必要とするものを動員する為の、条件、能力、努力、体力、気力などが保障され、さらに、それを実際上、遣り遂げる行動力、能力があってこそ・・・

アマチュアとの共同作業で、それがどこまで可能なのか、又それを要求してもよいのか・・・

夢は持ち続けたい。でも、現実は・・・「うーん・・・」

猫の呟き

あるがまま

五月になると七十九才になる。思えば遠くへ来たものだ。

今までの来し方を振り返るとこんなに長生きするとは思わなかった。あるがままに・・・とにかく一生懸命生きて来た。

生れは板橋。強制疎開もあって、埼玉県大里郡深谷町(現深谷市)に。親父は金細工の職人であったが、戦時下、贅沢は禁物と国の方針で勤め人に。小学校四年生の時、再び板橋へ。

小さい頃の思い出は、空腹と、それにも関わらず、とにかく野原、畑、川などで暗くなるまで遊び暮らした事。板橋に帰り、小学校の野球チームの二塁手に。何番を打ったかは覚えていない。小さいながら、家が大変なのは分かるので朝、夕刊の新聞配達のアルバイトを(これは結局中学三年生まで続いた)五年生の時、卒業式で在学生代表で送辞を。母が洗濯してくれた学生服を着て行くと、担任がポツリと「何だ、こんなのを着て来たのか」・・・教師の立場も有るだろうが、貧乏人のこっちにはこっちの都合もある。

中学校では、社会部に入って土器等を一生懸命に作っていた。何でか知らないが、生徒会の三役の一つ、書記に。

教師に成りたくて、高校は、昼は町工場(電線会社)に働きながら定時制高校へ(当時卒業後全日制高校へ行くのは数名、定時制を含めても高校へ行くのは三分の一程度であった)剣道部に所属。夜勤時にボイラー前の石炭の山で仮眠した事、その時に渡される夜食が、コッペパン七ツだった事(コッペパンにどのジャムを付けるかは自由)、初任給が三千九百九十九円だった事などが思い出として残っている。(後一円足せば四千円なのにと思ったのでよく覚えている)

定時制大学へ入りたいと工場へ相談に行くと、「高校へ通わせてやったんだ。大学なんて、何馬鹿な事を言ってるんだ」との返事。

他へ勤めながら大学へ行こうと、高校の就職情報を当ると、面接条件は「全日制卒業者のみ」担任に相談すると、「世の中そういうものだ」(そりゃそうだろうが・・・)

それから二十二才で舞台芸術学院へ入るまでは、今から考えると、私にとって一番危ない時期、色々な事、経験をした。一生懸命に。(そう、色々とありました)

舞台芸術学院に入って最初の授業で、八田元夫先生が「舞台俳優は肉体労働者です。とにかく身体、声を鍛え、創りなさい。その土台の上にこそ、技術が生かされるのです」

それからは、毎日トレーニングそれが今日まで。今でも先生には感謝。・・・先生ありがとうございます。

卒業後、青年劇場に入団。七年間在籍。芝居創りの基礎を学んだ。

退団後、色々の試行錯誤を経て、四十六才の時、高塩景子、あきなんしと三人で「くすのき」を結成、現在に至る。上手くいくという、展望がある訳でも、太い伝手がある訳でも、有利な条件がある訳でもないのに、とにかく一生懸命。よくも続いたものだ・・・。

創る面白さ、生活の為、育児の為、やれる事は全てやった。悔いは無い。でも、それにしてもよくも続いたもの。

さて、これからは・・・。 

そう、これからも、あるがままに、自分の条件の中で、創る面白さを、一生懸命に。

あるがままに・・・そう、あるがままに・・・

猫の呟き

生きる

コロナ禍の中で、ふっと、こんな事を考えた。

生きるって何だ・・・。

いや、この設問は正確ではない。動物、植物、鉱物、その他それぞれの存在にはそれぞれの生き方があり、また我々人間に限っても、男性、女性、年齢、財産、環境、時代、感性、思考の違いによって一人一人それぞれ異った生き方がある。となれば今現在を生きる私にとって生とは何だという事になる。

私はとっても弱い存在。一人では、グループを作らねば存在が出来ない。(私だけではなくたぶん他の人達も)なのに私は1人で居る事が好き。グループは嫌い。なるべくならば、一人っ切りで、自分の好きな事を、自分の好きなようにしていたい。でも、そうであるからこそ、そしてこれも私の大原則の一つだが、他人に迷惑をかけたくない。(しかし人間は、常に、誰かに迷惑をかけて生きて行く動物。なのに、それなのに、一人では生きて行けないのに、そう人間は「我(われ)」というエゴを、考案し、養い、強大にしてしまった。(そして私自身も)

グループは本当に面倒だ。人間の集まりは「我(われ)」のエゴの固まり、ぶっつかりあい。その「我(われ)」の集まり、固まりぶっつかりあいを苦にしない人間も沢山いるだろう。しかし、私にとっては、それは大の苦手。だから一人でいる事が安らぎ、大好き。でも、そんな私、人間は一人では生きられない。それは大原則。ここからは堂々巡り。

・・・この頃の朝は寒い。二時頃に目を覚ます私は、春から秋までは起きて机に向って読むなり、書くなり、セリフを覚えるなり・・・。しかし今は蒲団の中で「五重塔」のイメージトレーニング。(セリフを声に出しながら「ここで立って、右を向いて、間を取って」とブツブツブツブツ)それから新聞を読み、五時ちょっと過ぎに、真っ暗な中を公園に行きトレーニング、六時四十分のラジオ体操まで。帰って朝食、読書、昼食、読書、四時頃になると又公園でトレーニング。夕食、入浴して八時前には就寝。

子育ても終り、仕事もガンガンやる必要、条件、体力もなくなり、それでも好きな演劇は、体力の続く限り、気力の有る限り、記憶力の可能な限り創り続けたい私の、これが日常。そんな私にとって生きるとは。今を生きるとは・・・。

今の自分の条件の中で創り続ける事。

創り続ける限り、私は生きている。うれしい。で、その後は・・・。創り続けられなくなってしまった、その後は・・・。

分からない、その時はその時。その時になって考えてみる・・・。

猫の呟き

本当にあなたの欲しいものは一体何ですか

「コロナ禍」に明け暮れた一年でした。こんな事は、これからは有って欲しくありません。でも人生、終りを告げるまでは何が待ち受けているか分かりません。そう、一寸先は闇。これから先も良い事も有るでしょう。悪い事も有るでしょう。嬉しい事、悲しい事、悔しい事、有頂天に成る事も有るでしょう。でも、それら全てが人生。たった一度の人生。それら全てを全力で、全身全霊でもって、生きる。それが人生。怖い時、不安な時、先が見えない時、イライラする時、「お前は何がしたいんだ」という問いが心の中に聞えてくる。「そう、俺は何がしたいのだ・・・そう、俺は生きたい。生きたいのだ。生きるとは、俺にとって生きるとは・・・そう、創る事、芝居を創る事、与えられた条件の中で、全力で、全身全霊を傾けて、芝居を創る事、それが俺の生きる事。どんな事があろうと、どんな緊急事態の中でも・・・」

「コロナ禍」はまだまだ終息しそうにもありません。でも、人生、たった一度の人生。

―本当にあなたの欲しいものは、一体何ですか―

どんな事が有ろうと、どんな緊急事態の中でも、それぞれが、それぞれの人生を、全力で楽しんで生きましょう。

来年もよろしくお願い致します。

大多和勇

猫の呟き

色々なわたくし

「妖巫(ようふ)が語るマクベス一代記―因果は巡る小車のー」の台本を書き終えた。三年後に、高塩景子と二人で演じる「マクベス」。今までに「マクベス」は何度演じ、演出した事か。何度演っても飽きない。そのぐらい好きな作品。

ここしばらくは、午前中は自分のレパートリー作品の稽古、点検と、来年公演予定の「五重塔」「むかしあったとさ」の稽古。そして午後は台本創作。午前中は例の公園、午後は自宅。環境がガラリと変わるので疲れない。血圧も安定している。台本と演技は基本的には一人での作業。自分のペースでやれる。

が、演出の作業に入ると、血圧は上がる、疲れる。演劇を人生として選択した人間なのに集団作業は嫌い、一人での作業は大好き。・・・変な人間。でも、そんな私が演劇学校卒業の二十五才から今日まで五十三年間、演劇で人生を送って来た。

人間って、私って、随分変な人間だ。その変な人間を、人生をこれからも生きる。

猫の呟き

稽古の合い間に、小学館「昭和文学全集」を読み始めた。

三十六冊も有るのでいつ読み終わるやら。

何でこれを読み始めたのか。ぼんやりしている頭にこんな考えが浮んで来た。「俺って、一体、今までに何人位の作家の作品を読んでいるんだろう」

そう、誰でも好きな作家、思想家を持っている。そしてそれは年代と共に変ってくる。(勿論変わらない作家、思想家も有る)とすると名前だけは知っていても、その作家の作品を一編も読んでいない作家って、どの位、居るのだろう。そう、どれ位。

そんなボンヤリとした事が切っ掛けで、読み始めた。

まず、今まで読んだ作品は飛ばす。初めての作家の作品をまずは一つ読んでみる。面白ければ次。そして面白くない作品に出合うと、そこで次の作家に移行する。と、

「へえ、俺ってこんな作品、世界が好きなんだ」

そう大変面白い。自分で気が付かなかった自分を発見する。改めて自分を考えてみる。それが面白い。

人間って、動物と違って、暇が有るから、生きる為の基礎(衣・食・住)の時間を短くして、ボンヤリする時間が出来たから、「我」なんていう事を考え出したのだ。そして生きている間は、この「我」と言う無駄を考え続けるのだ。(死ねば又物質に還元されていくのだが)

「我」を考えたとて、それが何になる。そう、それも一理。

でも、人間は、それが何にもならなくても無駄であっても、「我」を考える。考えざるを得ない。人間が人間で有る限りは、ボンヤリと、あるいはしっかりと、色々と有るが、とにかく「我」を考える。それが人間なのだ。色々な無駄を考え、生きる事、それが人間なのだ。

とか何とか色々理屈を付けるが、要は、面白い、そう、それを考え、追求する事が面白いのだ。

人間て、変な生き物だ。無駄を面白がる生き者なのだ。

猫の呟き

今、今が続いて・・・

酷夏もいつの間にか終り、そしていつの間にか秋。ことに早朝、体操の時と、一眠りして目を覚ます午前一時頃、特に「秋が来たんだ」と深く思う。

念願の「くすのき演劇研究室」も一段落。十一月公演の「起てハムレット」の稽古にも一段と力が入る。この公演の後はと、自分のスケジュールを考えてみる。

来年2021は、幸田露伴原作「五重塔」を春に。川上弘美作「神様2011」演出を夏に。そして秋には「むかしあったとさ」改定版を公演。

次の年2022は、夏目漱石原作「吾輩は猫である」を春に公演。説経節「かるかや(石童丸)」を夏、秋公演の演出。

次の年2023はW・シェイクスピア原作「マクベス」を春に公演。以前「くすのき」三人で上演した作品を一人芝居用に。考えるとすぐに行動に移すのはいつもの事。第一稿出来上り。しかし、うーん、難かしい。第一稿の余白にこんな覚え書きを。

 一人芝居ではなく一人語り

 演じるというよりも語る

 動きながら、音を出しながら、演じながら語る。

この謎のような覚え書きを三年かけて具体的な形、行動にする。これぞ創る面白さの醍醐味。この面白味を味わう事が面倒臭くなった時がおそらく、私の創造からの引き時。

その時はまだのようだ。

そして秋は夏目漱石「坊っちゃん」演出。

そして2024、春、W・シェイクスピア「リア王」の一人芝居を。秋は夏目漱石「夢十夜」演出。

「おい、2024て、お前八十二才だよ。大丈夫なのか。」

そう、まずは言ってしまう。口に出してしまう。そのプレッシャーの中で創り出していく。昔からの私のパターン。

そう記憶力、体力は間違いなく日々衰えていく、衰えている、これは厳然たる事実。だから、それに立ち向う為には、その厳然たる事実に立ち向っていく為には、気力、それから日々の具体的行動それが私の武器。

二十代はセリフは稽古場で稽古しながらでも覚えられた。それが五十代、六十代、七十代と段々と衰えていって。そう、今ではセリフを完全に自分のものにする為には二年はかかる。だから焦りからでなく、自分のやりたい事を実現する為には、その時間、行動を、自分で具体化する。それが夢を現実にする道。

やれるか、やれないか・・・そう誰にも分からない。でも、人生は全て中途で終る。ならば、中途で終るその日まで、何かに向って生きるって、面白いじゃないか。そう、生きる、生きたい、その日まで。

猫の呟き

さようなら・・・ありがとう

二年弱続いた「くすのき演劇研究室」も、今回をもって終了する事となりました。

さようなら、そして、ありがとう。

これが今の私の偽らぬ気持です。今という時代が、コロナ禍の中で、拡大されて、鮮明に見えました。

ロスを省いて、目的を狭めて、速く、速く、速く!

それに対して私の立てた方針は、ゆっくりと、廻り道をして、一歩一歩確かめながら・・・。

「基礎の基礎」を面白がってくれた事(参加者があんなにも沢山集まるとは!)の驚き。

そして、ある程度予想してはいたが、『与えられた「課題」を自分で創って来る』という、当初から目的にしていた段階に至った時の参加者の激減。

働きながら、自分が所属する劇団活動を最優先しながら、今の自分の巾を広げ、豊かにする為の「試み」を、定期的に、具体的に、持続し続ける。

時間的にも、体力的にも、全てにおいて無理は予想していましたが、現実はその予想をはるかに上回って・・・。今の私の条件(年令、その他)からすれば、この形での「試み」は一応終了とする事が正解。それが「生きる」という事。

これからはまずは、自分の土台である「くすのき」の活動を再点検する事によって、今の条件下で自分の考えを具体化する事を一歩一歩、確実にすすめ実践していきたいと思います。

「自分の得たもの。学んだものを次の世代にバトンタッチ」という課題も、その中から具体的方法が見えてくるでしょう。

無理は禁物!

では、又いつかどこかでお逢いいたしましょう。

それまでは、お互い、元気にそれぞれの人生を楽しみましょう。

終りに、今回、幻に終った「くすのき演劇研究室」の呼びかけ文をお届けします。

 

「いよいよ本番」

2018年11月から始まった「くすのき演劇研究室」も、コロナ騒動での中断はありましたが9月12日をもって一区切り。

「基礎の基礎」から始めて「立ち稽古」まで。よくぞ、ここまで付き合って下さいました。心から御礼申し上げます。

この間二年弱、皆様との「試み」の中から「創造」とは自分の可能性を具体化する事だという事がよくわかりました。

「何かを教えてくれるだろう」「何かを与えてくれるだろう」は駄目。

「私はこう思う」「私はこう創った」「さあどうだ勝負しろ」

そうです。そこには確かに上手い、下手はある。でも、それは過程。固定されたものではない。

人間に可能性が有る限り、可能性を信じる限り、もっと豊かな、もっと面白い自分を表現する為に立ち向かってみませんか。 

条件の比較的恵まれた人、厳しい条件の人、色々有るでしょう。でも、その条件の下で、自分を冷静に見つめて、自分の条件を判断して、その中での可能性を、あなたの今有る可能性を追求し、具体化してみませんか。

教材としてA・チェーホフ「ねむい」「かよわき女性(おんな)」を用意致しましたが、それには拘りません。30分以内の作品であれば、自分の創りたい作品を用いてもかまいません。ぜひ、自分と、私と勝負してみませんか。そうした「冒険者」を是非お待ちしております。

猫の呟き

私の夏休み

七月二十五日の「むかしあったとさ」公演後の約一ヶ月間、図書館からDVDを借りて鑑賞する事を中心とした生活を送った。これが今年の私の「夏休み」。「歌舞伎」「能」「狂言」「落語」「浪曲」「映画」「白石加代子(百物語)」。百作品以上を鑑賞したと思う。

(よくも、まあ見たものだ)

見て、見て、見続けるうちに、あるものが見えて来た。自然に。ゆったりと。

名人、上手、魅力的な表現者は、素の自分、演じる自分、役に成り切る自分の間を、いとも簡単に、瞬時に、行ったり来たりしているという事実。それも客の目の前で。当り前のように。

つまり、それらの人達は表現者としての素の自分も、表現技術も、役に成り切る感性も、客の目の前で、まるで当り前のように瞬時に行ったり来たり出来るように、十分に鍛えているという事。

そう、魅力的表現者である為には、素質も、稽古も、私達凡人からみたら、想像も出来ないような稽古人生を生きているのかも。当然の事として、そうした領域に、一歩でも、半歩でも近付く為には我々凡人は、あきらめずに、あせらずに、一日一日を、より良き表現を目指して努力する外はない。そう、それが嫌なら演劇を表現者としての人生を辞めればよい。

明日からは十一月公演「起てハムレット」を中心とした、いつもの日常に。

今年は例年にはない「夏休み」を送った。

猫の呟き

その条件下でやれる事を一つ一つ大切に

七月二十五日(土)国立市芸小ホール地下スタジオで「むかしあったとさ」を上演した。

このコロナ禍の真っ最中、しかも直前に都の患者数が一日に三百名以上。もしかしたら中止という事態も頭を過った。長く演劇人生を送っているが、こんな宙ぶらりんの状態で本番を迎えるのは初めて。

当日、スタッフは一つ一つ感染対策を具体化していく。私は舞台稽古、本番を迎える為の準備に没頭。そう、一人一人が、自分の役割を確実にこなしていく事。観客に、役者の飛沫が飛ぶ事のないように最前列の座席は全てアウト。密にならないように観客間を広く空ける。役者間も、あまり近付かないように、ミザンスを変える。(こんな作業も初めて)

さて、開演。始まってみると妙なもので、いままでと変わらぬ役者同志、観客との交流が。

やってよかった!

終演後、又は後日の観客の感想も、そうした私の自信を裏付けてくれる。

さて、このコロナ禍、はたしていつ終息するやら。たぶん長期戦を覚悟しなければ。

次の日「むかしあったとさ」の新しい台本を書き始めた。

そう、公演は稽古の始まり。もっともっと面白い、自分らしい舞台を創りたい。

その意欲、行動力が有る限り、私の演劇人生は続くだろう。

秋に予定している「起てハムレット」来年予定の「五重塔」の一人芝居。来週から再度稽古を始めよう。

そう、やりたい事は山程有る。でも、自分の条件下で、一つ一つ確実に。それが人生、生きる事。

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プロフィール

演劇企画「くすのき」は1988年(昭和63年)に、大多和勇、あきなんし、高塩景子の三人で結成。語り芝居という表現方法で宮沢賢治、夏目漱石、説経節作品を上演。2015年7月東京都国立市に劇団事務所移転。代表高塩景子

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