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猫の呟き 一覧

猫の呟き

演るなら、努力し続けろ

「マクベス一代記」どうやら覚えた。昨年、毎日毎日、嫌になる程テープを聞き続け(その為に筋は完全に自分のものになった)

正月早々、手書きで稽古用台本を作り(今になってみると、この作業で随分とセリフが自分のものになったようだ)

週半分は「吾輩は猫である」の稽古(今年五月公演予定の為の稽古)

そして後の半分は「マクベス一代記」の稽古(これは来年上演予定の為の稽古)。

よくも飽きずに毎日清水公園へ通ったものだ。

そう、この年になれば、若い頃とは全て違う。

二十代、三十代の頃はセリフを覚える苦労なんて実感が無かった。セリフは自然に(自分の感覚では)覚えられた。

それが六十代になり、七十代になり、まもなく八十才。

意識的に、しかもかなり努力しなければ、セリフは覚えられない。自分のものとはならない。

身体の衰えも脅威だが、記憶力の衰えも、毎回毎回、次は大丈夫なのだろうかと脅しをかけてくる。

創り続けるとは、その脅しとの対決、そして具体的、しかも今の状況下で、最上の方法を見付け、実践する行動力、持続力、意志の発露・・・。

やりますよ、これからも。ええ、だって、好きだから。創り続けたいから。それが一番うれしい時間の過し方だし、幸福だから。

マクベス、マクベス夫人、バンクォー、王、その他様々の人物をどう創り、どう話を進め、面白い舞台を創るか。

これらは全て「吾輩は猫である」が終ってからの事。

まずは第一期終了、土台作りは出来た。

猫の呟き

ああ・・・・・

二〇二一年も間も無く終り。月日の経つ事の何と速い事よ。

その月日の流れに竿差して、今年も又、創る事、創り続ける事に拘り続けた。でも何と溜め息を付く事の多くなった事よ。そう、演劇はライブ、生、観客との共同創作、それこそが命。何回何十回演じても、その都度事に、その日、その場所で、観客と創る。開演の合図と同時に創り始める、創り続ける。待ってはくれない。その為にはその為の準備、身体、声、気力等を、その瞬間に動き出せるように常日頃からの準備、鍛錬が必要。更にその準備、鍛錬の為の、毎日のトレーニング、土台作りが。

フウ・・・・・

今年は何とかやり続ける事が出来た。が、気が付けば満身創痍、どこも彼処も傷だらけ・・・。こんな状態だと来年は・・・

ああ!・・・・・

でもやりたいなら、創り続けたいなら、やらなくちゃ、

今年やった事を来年も・・・・・。

そう、誰が選んだのでもない。自分が決めた道なのだから。

猫の呟き

次と、その次と

先日「吾輩は猫である」の稽古をスタッフに観てもらった。具体的なアドバイスを貰い、今回の方針が明確になった。そして来年の五月十五日の公演に向けて、その方針に沿って・・・そう、後は稽古有るのみ。日曜日を除いて、一週間で全部が終るように計画を立てる。(勿論計画通りとはいかない事は固(もと)より承知)稽古していて感じるのは、驚く事は、兎に角、口の動きの鈍く、悪くなった事。しゃべる事も、色々の筋肉を使っての事。だから年を取ると衰えるのは理の当然。その結果、有る時間しゃべり続けると、疲れからか衰えからかアーティキレーションが悪くなってきて、自分の思っている通りに口が、舌が動かなくなる。(あーあ、年を取るとは、こういう現実を目の前に突き付けられる事なのだ。)ならば、舞台に立ちたいならば、やるっきゃない。稽古、稽古、も一つ稽古。とにかく稽古を通して、口、舌の筋肉を鍛えねば。能書きはその後で。俳優学校時の様に口をしっかりと開けて、はっきりと、はっきりと。面白いもので、稽古を重ねていくうちに、セリフが最後までハッキリと言えるようになる。稽古、稽古。(大谷君ありがとう。)

「吾輩は猫である」の次の「マクベス一代記」ようやく台本が出来上った。台本を作り、テープに吹き込み、台本を直し、又吹き込み。これを何度繰り返した事か。(自分のセリフを、こんなにも真剣に聞き続けたのは久し振りだ。)何とか一時間以内に納まった。さて、これをどう演技で面白くしていくか。まずはセリフを覚えて、それからじっくりと・・・

次と、その次と。それ以降は考えない。(でもやりたい作品は沢山有る。)一つ一つを大切に、「舞台上でさようなら」を言えるつもりで。人間、年と共に考えも、行動も変っていくものだ・・・まあ、当り前と言えば当り前の事。

猫の呟き

不意打に・・・

杜野木菟さんが亡くなった。突然、不意打に・・・。

私達の結婚式に来て下さった。(家内の保母学の同級生として。私には記憶にないが)

話はとーんと飛んで、「くすのき」結成後すぐ。

「くすのき」三人で作った宣伝物のあまりにも幼稚なのを見兼ねて

「あの、私こうゆうのに興味があるんです。お手伝いさせていただけませんか」

本当に控え目で、謙虚で、出しゃばらない女性。

それからずーっと、ずーっと亡くなる日まで、「くすのき」の宣伝物を創り続けて下さいました。(たまには小道具、衣裳等も)

私が木菟さんと初めて御一緒に仕事をしたのは、木菟さんが学童の仕事をしていた頃。子供達とワークショップを。木菟さんが公民館に移動してからは「くすのき」の公演を実現していただいたり、諸々の講座を。

 「公民館という、時間、金額の制約の中で色々とやってみましょう」と、面白い、実験的で、ドキドキする講座を企画してくれました。

ありがとう、私の創造意欲を燃え立たせ、励ましてくれました。

 「くすのきの学校公演を観てみたい」と千葉県の小学校まで来てくれて、仕込み、公演、片付けまでを・・・。

福島県喜多方市「喜多方発21世紀シアター」に「くすのき」が参加してから最後まで、一緒に参加して、宣伝、野菜、果物の差し入れ等々も・・・「そう、あれは『くすのき』の甲子園。あなたはその甲子園の大切な、無くてはならないマネージャー兼応援団・・・」

ありがとうございました。

あなたの見守りを心に、これからも一作品、一作品、全力で、楽しんで創り続けます。

・・・さようなら・・・

猫の呟き

以心伝心

久し振りの「教室」を体験した。講師は私、生徒は一人。「「教室」を受けてから、九年間で五回演出を受けた演出家に『変わったね!』と言われました。だから「今だ!」と思って。私一人ですがお願いします。」「分かった。やろう」

題材は、・・・・・そうだチェーホフの短編「ねむい」にしよう。ただちに台本を郵送し、読み込んでもらう。二週間後「お願いします」という事で「教室」を。

「ねむい」は地味な作品。十三才の少女が、父の死亡後生きる為に田舎から都会の靴職人の家へ子守りに。が、そこは、昼は家事、雑用に追い廻され、夜になると子守り。まとまって寝る時間も与えられない。もう眠くて、眠くてたまらない。とうとうある夜、赤ん坊を殺して、そのままぐっすりと・・・。

陰惨な物語、暗い、どうにもやり切れない物語である。しかし、チェーホフは、淡々と事実を、その少女の心的幻影を書いている。淡々と、淡々と、その淡々とした文章を通して杓子定規な、悲愴な告白よりも、重く、ずっしりとその少女の遣り場のない苦しみ、その少女をそういう生活へ追い遣る、社会の歪みが胸に迫ってくる。

「教室」は九時から十六時五十分まで。約一時間の昼休みを挿んでの真剣勝負。習う、教える、教わるとは・・・。そう、私はこう思う。

「自分の前に立ち塞がる壁を何としても乗り越えたい。その方法を自分のものにしたい。その為のヒント、アドバイスを。」

「そう望む人に対して何をすれば、どうアドバイスをすれば、相手は、その壁を乗り越える方法を、ヒントを、自分のものとして手に入れられるのか。進み始めるのか」

方法は色々有る、人それぞれに自分の合った方法が有る。今、目の前に居る「この人」にはどんなアドバイスが、方法が・・・。「ねむい」の淡々とした世界を創るには、どんなテクニック、アドバイスが・・・。

その両者の思い、願いが一つになった時、そこに何かが具体的な何かが生まれるのだと思う。

疲れた。・・・疲れました。が、気持のよい疲れだ。これからも、出来れば、やってみたい心地よい疲れだ。・・・創る事は、苦しく、そして楽しい。

猫の呟き

非日常だからこそ見えたもの

この騒動はいったいいつまで続くのか。この年末まで、いや来年いっぱい、いや、再来年までも・・・。

当初は他人事であった。「へえ、そんな病気が発生したんだ。大変だなあ」

それがあっと言う間に、他人事から自分事になり、いつしか緊張し、構え、注意怠(おこた)らず、呼吸(いき)を堪(こら)して生活していたのが、こう緊急事態がいつまでもいつまでも継続されると、いつしかそれが当たり前になり、日常になり・・・。いや、それではいかんと、又身構えるが、でも、その緊張も何だかグニャリとした緊張で・・・。

そんな中で、そんな中だからこそ、見えて来たものがある。

そう、生きるって何だろう。

そう、生きるって、たぶんその日、その時を「生きる」事。そう、その日、その時を「生きる」事。

ただそれだけ。そう、ただそれだけ。

それ以上でも、それ以下でもない。

ただそれだけ・・・

私は生きる。ある日、ある時呼吸が終るその時まで・・・

それにしても、この非日常いつまで続くのか・・・

猫の呟き

久し振りの喜びを

先日、久し振りで大学生との表現活動が有った。ゲスト講師として九十分。二十数名(一年生から三年生、四学部合同)

最初に自己紹介と今日の課題、演劇表現の基礎を説明。そして「山頭火」の句を題材としての各人の表現を舞台上で。(各人三十秒から六十秒の表現。アドバイスと講評)

面白かった。楽しかった。感動した。興奮した。そして安心した。(私はまだ、若者と通じあえるんだ!共同作業が可能なんだ!)

こんなにも素直な若者が、今日初めて出合った人間を信頼して、こんなにも熱心に、自分を曝け出して、全力で、全身で、表現活動に集中してくれるんだ。そう彼等は表現者を目指している訳ではない。ただ、授業の一環として、今日、初めて私と出合い、そして九十分間を私と共に生きてくれた。それは上手いとか下手とか、才能が有るとか無いとか、そんな事よりもっと基本的な事。信頼、素直、熱心、集中、素朴さ、若さが持つ可能性、探究心、実行力、etc.・・・

ありがとう。勇気付けられました。とても、とても元気になりました。よーし、やるぞーという気力をもらいました。

ありがとう・・・ありがとう。

猫の呟き

社会教育の場での演劇

「意欲もあり、行動力も有るが、どうも学校に馴染めない子供が沢山居るんですよ。

この子供達に場を与えて自信を付けさせてやりたいんですが、やってみませんか」

「うん、何だか面白そうですね。どうなるか分かりませんがやってみますか」

そして集まった子供達との顔合わせ。

「うん、すごい・・・」

地元の昔ばなしを題材に台本を書き、稽古が始まった。皆初めての事。段々と動き始める。春休みの最後に発表との事で、期間は四ヶ月、週一回の稽古。途中二回の泊り込みの合宿を入れてもらう。稽古だけでなく、大道具、小道具、衣裳、その他やらなければならない事が山盛り。全て子供達には初めて。シンプルに、こっちでやれる専門的事(照明、効果等々)はこっちでやる。

結果は大成功!

そう、やる時は成功させる。その成功が次への行動力となる。

翌年は「ガンバ」を。私が台本を書き、演出もして、全て前年通り。


 次の年。ここからが面白い。

「先生さ、出来たら、台本も、演出も、自分達でやってみたい」

「えっ!・・・うん、やってみるか」

自分達で気に入った話を自分達で、でも、気持ちだけではどうにもならない。話をグループ数に分割して、各グループそこだけの台本を作る。長くて五分、一分以内のグループもある。それを一つの台本に私がまとめる。そして稽古。中学生集団が演出も担当。

「こういう感じでさあ・・・」それぞれ想いは有るが、小学生にはなかなか伝わらない。

稽古が終わり、小学生が帰った後で、中学生と私との稽古。

何故あなた達の想いが伝わらなかったのか、空間を(舞台を)どう使えばその想いが形になるのか、スピード、間(時間)をどう使うのか。

「いい、次の稽古の時、今日やった事を、ちゃんと小学生と作るんだよ」

中学生を育て、彼等のプライドを守る為には、通常の稽古の何倍もの時間がかかる。自分達で作っているというプライドがあるので、面白い試み、アイデアが次々と出てくる。

大道具、小道具。衣裳の制作にも気合が入る。

そして本番。大成功!その喜びの凄まじい事。

次の年からはダンスも入る。歌も入る。もう、やりたい事のオンパレード!

当り前の事だが、それぞれが大きくなって高校生、社会人となり、演出、裏方部門が充実。

「次は僕も、俺も、あたしも出たい!」と小学生の出演者もどんどん増加。

が、好事魔多し。段々とマンネリになってくる。

やりたい事、創りたい事は沢山あるんだがどうやったら、それが舞台になるのか。

初めは自分達の想い、意欲、喜びを「生」でぶっつけた。それが、ある形(舞台)になった。

もっと、もっと、自分たちをぶっつけたい、形にしたい。意欲、想いはあるが、それをどうすれば舞台、形になるか。

・・・そう、これから後は別の段階。社会教育としての「演劇」はここまで。あなた達は自分達の想い、意欲、夢を舞台にするという行動を始め、それを実現させた。自信を持てたろう。喜び、悲しみ、悔しさ、辛さ、我慢も味わったろう。それが大切。それが宝。「生」の面白さ、魅力も大切。だが、それだけでは・・・

後は、そう、何でも、全て、仕事には、創造には技術という土台が必要。それは一朝一夕で自分のものになるなんて、そんな生易しいものではない。コツコツと、飽きる事なく、積み重ねていくもの。辛い、困難な、でも途轍もなく面白いもの。その門前にあなた達は立てたのだ。それは素晴らしい事。でも、でも、この先は別の道・・・。

 そう、教えるとは、教わる事。十年以上にも渡る取り組みがあったので、こうした事も自分のものとする事が出来た。

 ありがとう。みんな元気か・・・。

猫の呟き

あの頃の想い、今も・・・

そう、あれは、たぶん四十年ぐらい前か。社会教育関係から講師依頼が来始めた時分。そこは宿泊が可能で、しかも係の方も大変柔軟性に富んだ職員。何か面白い講座をという事で「百時間で何が創れるか」という講座を提案。年四回、一回二十五時間。それで一つの作品を創り上げる。初めて出合った受講者達が一回二十五時間、それを四回積み重ねて一つの作品を創り上げるという講座。

「うーん面白いですね。やってみましょうか」という事で実現。

舞台表現を創り上げる上で必要なものは沢山有る。一つ、時間。我々は常日頃ともすると時間を使うのでなく時間に使われている。追い掛けられている。だから一回二十五時間を、あるものを創る為に自分達の裁量で使い切る。夕食、朝食、昼食は社会教育施設なので時間は決められている。風呂も何時から何時まで利用可能と枠が決められている。担当職員の計らいで、後は自由という事になる。さあ、初対面同志の参加者、どうする、どうする。一つ一つの回で何をどこまで創る。「えっ、そこまで自分達でやるの・・・」

ここに一つの提示された課題が有る。その課題をグループそれぞれ各人がどう読んだのか、どう理解し、面白がり、それをどう創りたいのか。まずはそれから。話し合いが始まる。自分の意見を言う。他人の意見を聞く。それが創る事の共同作業の土台。で、言って、聞いて、次にどうする。それを形にしていく為には・・・。与えられた時間は限られている。(これは通常の公演時も同じ)

試行錯誤を重ねながら怖ず怖ずと動き出す。役を決め、演出を決め、舞台の図面を取り敢えず決めて。しかし、頭で描いたイメージを自分達の身体と声で創り上げる事は、そんなに容易い事ではない。(それが分かっただけでも十分な価値がある)焦る。苛立つ。ボーッとしてくる。疲れる。そう、人間は休みが必要。さあ、どうする。時間は刻々と過ぎて行く。寝るか、そのまま続けるか。そうなって来ると、それぞれの本性が出てくる。

人間自己主張も必要。他人の意見を理解する能力も必要。妥協も必要。譲り合いも必要。調整能力も必要。つまりそうした演劇を創り上げる為の全ての能力を要求される。

そして次の日の朝食時。色々な顔が、グループの姿が食堂に集う。徹夜で頑張ったグループ。上手に睡眠時間を確保したグループ。・・・それぞれが食べて又創造に励むグループも有れば、疲れ果てて何も出来ずに唯ボンヤリとしているグループ、イライラと、延々と、話し合っているグループ。そして昼前に自分達で創った事の発表。講師の駄目出し。そして又各グループに別れての活動。

昼食。そしてその回最後の発表。

発表が出来たグループ。意見がまとまらずに「今回は話し合いだけで終わりました」とその事を告げるグループ・・・。

「うん、上手くいった。やってよかった」

そう、創るという事は、そうした事全てを克服して、一つの具体的作品を創り上げる事。それは演劇だけでなく他の全ての仕事でも同じ事。

社会教育の中での演劇の活用法の一つ。素敵な職員との素敵な試みの一つ。

あの頃は、あんな試みをやれる、体力、気力、そして自由があったのだ。

そして今は・・・。そう今は、今の条件の中で(己の、社会の)一つの具体的な作品を創る事。己の、社会の具体的条件の下で・・・コツコツと、具体的に、楽しんで・・・

猫の呟き

猫の呟き(充実した空白感)

「五重塔」公演が終って一週間。何も手に付かずボーッとしていた。

気持良く、充実した空白・・・?・・!こんな充実した空白感を、後何回味わえるやら。(出来れば毎回味わいたいものだ)

ゆったりと、確実に、「むかしあったとさ」「吾輩は猫である」の作業に入る。そう、これが私の日常。その日常が、何だか新鮮。

うれしい。

この新鮮な日常を大切に生きたい。

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プロフィール

演劇企画「くすのき」は1988年(昭和63年)に、大多和勇、あきなんし、高塩景子の三人で結成。語り芝居という表現方法で宮沢賢治、夏目漱石、説経節作品を上演。2015年7月東京都国立市に劇団事務所移転。代表高塩景子

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